タスマニアへの道標

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製作: 小川 邦久

タスマニアンタイガーについて


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< タスマニアンタイガー >

- タスマニアンタイガー -
 現在までに知られている肉食の有袋類では最も大きく、1936年9月7日にホバートのBeaumaris動物園で死亡したメスを最期に絶滅したと考えられている。「タイガー」の呼び名の通り胴体の縞模様が特徴で、顔の割に耳と鼻が大きく、あごは120°の角度まで広がる。メスのタスマニアンタイガーは尻尾の方に袋の入り口があり、これは他の有袋類では見られない。この袋の中で子供を4匹まで育てることができ、生後約1年半で自立するようになる。肉食動物ではあるが動作が遅く、その欠点を独特の嗅覚で補っていた。森の中でワラビーやポッサム、その他小動物を好んで食べていたようだ。
 化石などの発見から、タスマニアンタイガーの祖先はパプアニューギニアやオーストラリア本土にも生息していたことがわかっている。1万~2万年前の氷河期に海水面が降下し、オーストラリア本土とタスマニアがつながり、その一部がタスマニアに移り渡ったものと考えられている。
 18世紀、ヨーロッパからの人口流入に伴い羊牧場が増えるにつれて、肉食であるタスマニアンタイガーは「有害である」動物とされてしまった。確かにタスマニアンタイガーが羊を食べてしまうということは事実ではあったが、当時羊泥棒も横行しており、行方不明になった羊が「タスマニアンタイガーにやられた」として、誇大にタスマニアンタイガーの有害性が指摘されるようになった。政府は1888年に、タスマニアンタイガーを1頭殺すごとに1ポンドの報奨金を与える制度を施行し、これが1909年まで続いた。残念ながらこの時までにタスマニアンタイガーはもう繁殖できるだけの頭数が残っておらず、その後は絶滅への道をたどるのみとなってしまった。
 もう生きているタスマニアンタイガーを見ることはできないが、少なくともこの悲劇を教訓として、人間の手によって新たな「過去の動物」を作り上げないようにしたい。

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