製作: 小川 邦久
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タスマニア旅行のエッセンス
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おススメの本: 乗馬への道〈Vol.10〉タスマニア馬紀行
- 1996年8月21日 ストローンにて -
ストローンに到着したのは夕方で、バスは直接ユースホステルに行ってくれました。
歩く手間が省けたのはよかったのですが、受付のカウンターに誰もいなかったので、1時間ほど玄関の前で待たされてしまいました。
ようやくオーナーのおばさんがやってきてチェックインをすることができたのですが、客は私の他にドイツ人男性が二人しかいませんでした。
二人とも私と相部屋だったので、とりあえず挨拶をしておきましたが、一人は物静かな青年(多分英語があまり話せなかったんだと思います)、もう一人はほうっておくとやたらにべらべら話すタイプで、なかなか面白い組み合わせだと思いました。
到着時に食料になるようなものを全然持っていなかったので、港の商店街までミートパイを買いに行きました。
港は本当に静かな感じで、人はおろか船もあまり泊まっていませんでした。
船の無い港というのも結構不思議な感じでしたが、独特の趣があって悪くはなかったです。
その後、ユースホステルに戻ると、大柄の男がもう一人部屋にいました。
名前をデビッドさんといい、職業は遠洋漁業の漁師ということでした。
この人はなかなかクールな感じの人で、話し方にどこか知性を漂わせていました。
夜、デビッドさんとうるさい方のドイツ人が、政治や文化のことでずいぶん語り合って(というか相手を攻撃し合って)いましたが、デビッドさんの方が一枚上のような感じでした。
ちなみに私は聞き流しているだけで精一杯でした。
次の日にドイツ人二人は別の町に行ってしまいましたが、私とデビッドさんはもう一泊の予定でした。
ストローンといえばゴードン川のクルーズというぐらい、タスマニア旅行者には見逃せないポイントではあったのですが、あいにくその日は曇ってしまいました。
デビッドさんは船に乗っているうちに天気が回復するかもしれない、と言ってクルーズに参加することに決めましが、私もひとりで部屋で寝ててもしょうがないので、何も考えずデビッドさんの後について行くことにしました。
一言で言えばクルーズに行ったのは大正解でした。
船が港から出て河口に向かい、その後上流へと向かっていくのですが、タスマニア独特の赤黒い水(落ち葉から出るタンニンが原因)の影響で、穏やかな流れの所だと水面の反射がまるで1枚の大きな鏡のようで、これはもう圧巻でした。
写真を数枚撮ったものの残念ながらこのすごさを表現できていませんでした。でも、これを見ずしてタスマニアは語れないと言えなくも無いぐらいのスポットだと思います。
クルーズが終わり、デビッドさんの次の日の予定を聞くと車でホバートに行くと言いました。
私もホバートに行く予定でしたが、バスで丸一日かけなければならなくて、移動だけでその日はつぶれてしまいそうだと言いました。
これにデビッドさんは親切にも「俺の車に乗ってくか?」と言ってくれました。
私の答えはもちろん「イエス」でした。
次の日の朝、私はデビッドさんの車(と言ってもレンタカーですが)に乗り込み、ホバートへと出発しました。
車だとストローンからホバートまでそれほど時間がかからないと言うことで、ついでにポートアーサーも行くことになりました。
道中、いろいろな景色がありました。
羊の群れ、ユーカリの森、密林と滝。
どこかきれいなところがあれば車を止めて、歩いてみたり写真を取ったり、バスで移動していては絶対にこんなことできないな、と思いました。
この時に気づいたのですが、タスマニア観光では道中の絶え間無い景色の変化が一番の見どころと言えるような気がします。
それを存分楽しむにはバスだけでは不十分で、やはりレンタカーを借りるなりして自分で動いた方がいいと思います。
デビッドさんとは車中でいろいろな話をしましたが、遠洋漁業の漁師という職業柄に結構引かれるものがありました。
タスマニア旅行も漁の日程の合間をぬって来たそうです。
でも、そういう職業でありながら、クイーンズタウンの公害問題を科学的な面から考察してみたり、日本の貿易の閉鎖性を指摘したりして、一体どんな思想を持っているのだろうと思わせてくれる人でした。
< デビッドさんと >
ネルソン・フォールで
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