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コンドルは飛んでゆく
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製作: 小川 邦久

3日目 2000年4月30日(日曜日)空中都市マチュピチュ


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 朝4時20分に起床。目覚し時計を4時半にセット、さらにモーニングコールも頼んであったのだが、それより前に目が覚めた。昨晩寝たのが9時で目覚めは悪くなかった。心配していた2日目の朝の高山病も、全く大丈夫なようだ。
 5時半にロビーに行って、マチュピチュに行くアウトバゴン(Autovagon)の駅まで車で行く予定だったのだが迎えにこない。フロントに行き、旅行会社に電話をかけてもらったところ、単純に「遅れている」とのことで、10分後に迎えに来てくれた。

 アウトバゴンからの景色は最高だった。クスコの山をスイッチバック方式で上り、インディヘナの民家の間を通過していく。正面に雪をかぶった山々が見える。標高5000m級だろう。続いてインディヘナの農村地帯を過ぎて行く。ここでは民族衣装を着て、モロコシ畑でおじさん、おばさんがマイペースで働いている。農村地帯が終わると深い渓谷とジャングル、それからアマゾン川に流れ込むウルバンバ川(Rio Urubamba)が見える。片道約3時間半、車内のスピーカーからフォルクローレも流れ、景色とマッチングして最高の雰囲気だった。一瞬東京ディズニーランドのスプラッシュマウンテンを想像してしまったが、こちらは本物、気を取り直して周りの景色に没頭した。
 

[ Mapa del Autovagon ]


[ Vista del Autovagon ]

 列車は9時半にマチュピチュのふもと、アグアスカリエンテス(Aguas Calientes)に到着、そこからバスで30分かけて日光いろは坂を砂利道にしたような急な坂を登りマチュピチュへ。
 マチュピチュはすごかった。2000年も前に、いかにも漫画に出てくる様な急な山のてっぺんに町を作り、段々畑で穀物を育て、最盛期には1万人もの人々が生活していたと言うのだ。16世紀のスペイン人のインカ征服の後、この町から避難するように人がいなくなってしまい、その後1911年にアメリカの歴史学者がこの遺跡を発見するまで、手付かずの状態が続いた非常に貴重な遺跡だ。日本からはるばるやってきたが、これを見れれば本望である。
 


[ Machu Picchu ]



[ Goodbye Boy ]
 帰りのアグアスカリエンテス行きのバスに乗る。標高差約400mを下っていくのだが、地元のインディヘナの少年が「グッバーイ!」と言いながら手を振り見送ってくれた。バスがカーブを曲がり、しばらくするとまた「グッバーイ!」と聞こえてきた。見てみると同じ子供が手を振っていた。再びバスがカーブを曲がり、また同じ少年がいた。
「グッバーイ!」
 狐に化かされたような気分でもあったが、バスがS字カーブをくねくねと曲がっている間に、この少年は階段を下りて何度も「グッバーイ!」を連発するのだ。通称、グッバイボーイ(Goodbye boy)と呼ばれていて、ここの名物でもあるらしい。
 約30分の道のりで、走り、叫び、そして私たち観光客に手を振った。その努力はさすがに認めざるを得ない。
 アグアスカリエンテスに到着する直前で、この少年はバスに乗り込んだ。胸元にあるひも付きの巾着袋を開けて、観光客からチップをもらっている。「がんばったなあ」ということで、5ソル玉(140円)をあげた。ちなみにこの仕事は非常にハードなため一日2回が限界のようだ。

 今日はアグアスカリエンテスで一泊。夜8時ごろ、ホテルのそばの食堂に足を運んだ。スペイン語のメニューは読むのに時間がかかる上、場合によっては全く想像と違うものが出てきてしまう。勉強不足だから仕方ないのだが、面倒なのでいつも"¿Que recomienda?(何がお勧めですか)"と聞いて済ませてしまう。クスコもそうだが、このあたりではマス料理がお勧めのようだ。"Trucha al ajo"という、マスを開いて油で揚げて、ガーリックソースをかけたものを注文した。なかなかおいしかった。


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