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ファミコンとは?
 任天堂が1983年7月に発売開始したゲーム専用機「ファミリーコンピュータ」の略称で、別売りのカセットを差し込むことでゲームが遊べます。1984年11月にナムコが「ゼビウス」を発売するあたりからブームに火がつき始め、翌年9月に任天堂が発売した「スーパーマリオブラザーズ」で空前のファミコンブームが起きました。その後もどんどんと新しいゲームが出続け、ゲーム機といえばファミコンというくらい、すっかり日本の家庭に定着するまでになりました。
 日本のゲーム機市場におけるファミコンの天下は、1990年11月のスーパーファミコン発売まで7年以上の長きに渡って続きました。日本国内での総販売台数は1900万台、さらに北米を中心に海外でも4000万台以上販売されました。
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ファミコンとの出会い
 私は小学校1年生の頃から、近所の駄菓子屋や玩具屋にあった「スペースインベーダー」や「ギャラクシアン」で遊んでいたほど、根っからのゲーム好きでした。しかし、小学2年で全校「インベーダーゲーム(ゲームセンター)禁止令」が出されてしまい、それからしばらくゲームから遠ざかった生活になってしまいました。でも「ゲーム禁止令」が出たからと言ってゲーム嫌いになる訳ではありません。その後もゲームウォッチを買ったり、「ゲームセンターあらし」を読んだり、いとこの家に行ってエポック社の家庭用ゲーム機「カセットビジョン」で遊んだり、また遠出したときにゲームセンターをのぞいたりして、自分の欲求を満たしていったものです。
 「インベーダーゲーム禁止令」から3年程経った1983年の秋に、「うちもそろそろゲーム機を買おう」ということになりました。当時、ゲーム機は何種類かあったのですが、ファミコンは本体価格が\14,800と他のゲーム機よりも安かったことと、小学生の目から見ても画面の綺麗さが他の機種を完全に圧倒していたことから、ファミコン以外の選択肢は全く考えていませんでした。その年の11月にファミコン本体とゲームソフト「ポパイ」と「マリオブラザーズ」を買ってもらい、それから兄と一緒にほとんど毎日遊んでいました。
 その後しばらくしてファミコンブームが起こり、近所の子供たちも相次いでファミコンを購入しました。私はテレビの後ろの配線を自分で取り付けていたのですが、その噂が近所にも広まったのか、近所の2~3件にも配線取り付けを頼まれたことがありました。
 ファミコンを購入した1983年10月から1985年夏ごろまで、出るゲーム出るゲーム小遣いをはたいて全て購入しました。「ゲームごときに…」と言う人もいるかも知れませんが、この頃に得た知識が今でも生きているものがたくさんあります。テレビやオーディオ機器の配線から始まり、PCプログラミングを習得する動機を得たこと、音楽に興味を持ち楽譜が読めるようになったこと、ゴルフ、野球、テニス、サッカーなどのスポーツのルールを覚えられたこと、それにゲームに限らず、いろいろな作品を創る上でのこだわりや独自性の大切さが分かったことなど。ファミコンを購入していなければ、そういった知識を得ないまま今まで来てしまっていたかも知れません。
 そんなファミコンも中学を卒業した頃から、あまりやらなくなってしまいました。パソコンを購入したことから、「ゲームで遊ぶ」ことよりも、どちらかと言えば「ゲームを作る」方に興味が移行していったことがあります。でもそれ以上に、新発売のゲームに対して以前ほどの楽しさを感じなくなってしまった、ということの方が大きいと思います。何となくゲームのアイデアがマンネリ化してきたようにも感じましたし、それとも自分が歳を取ってしまったからなのかな、とも感じました。ファミコン以降も「スーパーファミコン」「プレステ」などいろいろな機種が出ていますが、私にとってはファミコンが最初で最後の家庭用ゲーム機となってしまいました。しかし、ファミコンは私の人生の中で、重要な存在であったということは揺るぎのない事実でしょう。
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思い出のゲーム100
ドンキーコング 任天堂 1983年7月発売
 マリオ初登場のジャンプアクションゲーム。ゲームセンター版より1面少なくなっていましたが、まだソフトの少なかった当時は、そんなことお構いなしに楽しく遊んでいました。1面の右端の梯子を使い、「画面下に降りて、画面上に出る」という裏技があり、これを友人に披露した時の驚きの顔が懐かしいです。もちろん自分で発見したわけではないのですが。

ドンキーコングJR. 任天堂 1983年7月発売
 トロピカルな雰囲気の画面が結構好きで、どちらかと言えば初代ドンキーコングよりよく遊びました。2面もアスレチックみたいな感じで楽しかったです。ドンキーコングJR.が歩くときの「ドンデンドンデン…」という音や、何かを飛び越えたときの「ピンポンパン」という音など、何故か効果音が今でも耳に残っています。

ポパイ 任天堂 1983年7月発売
 ファミコンを購入した時に「マリオブラザーズ」と一緒に買ったゲームです。敵ブルートの執拗な追いかけから逃げつつ、オリーブの投げるハートを受け取り、たまにほうれん草を食べてブルートをやっつける、というシンプルなゲームです。1面の桶パンチ攻撃、2面のジャンプ台、3面のスライド台など、ちょっとした演出が好きでした。

麻雀 任天堂 1983年8月発売
 小学6年の時に、麻雀のルールもわからないのに購入。しばらく「遊べないゲーム」扱いでしたが、本屋で麻雀の入門書を購入してから一転、かなり楽しめるゲームになりました。相手の手を全く読まずに、ひたすら自分の手作りを進める「自己中心的麻雀」は、このゲームで培われましたが、大学時代に自分だけ振り込みまくることに気づき、その後大きく方向転換しました。

五目ならべ 任天堂 1983年8月発売
 初期のファミコンゲームの中でも、一番渋いゲームだと思います。一人用は初級、中級、上級とレベルが選択できるのですが、ルールが違うだけでコンピュータの強さは初級も上級も変わらず、当時の私は初級でも全く勝てませんでした。逆に友人と対戦するとほとんど負けませんでしたが、まともに「五目ならべ」をやっていた友人は一人もいなかったです。

マリオブラザーズ 任天堂 1983年9月発売
 ファミコンを購入した時に「ポパイ」と一緒に買ったゲームです。二人同時プレーが可能で、協力して敵(カメ、カニなど)をやっつけることができるのですが、どちらかと言えばけんかプレーの方が楽しめました。兄とよく遊びましたが、弟の私はいつもコントローラー2のルイージでした。ただ、コントローラー2のマイクを使った「騒音攻撃」は、あまり有効ではありませんでした。

ポパイの英語遊び 任天堂 1983年11月発売
 日本語の単語から英単語を当てるという教育ゲーム。説明書の添付表にゲームに出てくる全ワードが掲載されていて、それを見ながら遊んでいました。おかげでこのゲームに出てくる単語は覚えられたのですが、その後の中学英語では「現在完了形」のところでつまずいてしまいました。さすがに当時のゲームでは文法は学べませんでした。

ベースボール 任天堂 1983年12月発売
 当時野球に興味の無かった私は、「六角消しゴム」(「アウト」とか「ツーベース」とか書いてある)、「野球盤」を経て、このゲームでようやく野球のルールを覚えました。プロ野球に興味を持つようになるのは、後に「ファミスタ」が登場してからになりますが、野球をまともに見たことがなくても、外野の守備がうまくないということはわかりました。

ドンキーコングJR.の算数遊び 任天堂 1983年12月発売
 教育ゲーム第2弾。友人に算数好きな人がいて、よく2人プレーで対戦しました。四則演算を繰り返して、先に目的の数字になった方が勝ちです。レベルの高い勝負になると、計算しやすい足し算、引き算、掛け算よりも、いかに割り算をうまく使うかが勝敗の分かれ目でした。おかげで学校のテストでも割り算の計算は速かったのですが、足し算の方でケアレスミスばかりでした。

テニス 任天堂 1984年1月発売
 テニスの得点方式をこのゲームで学びました。最初は「何で15点、30点なの?しかも、何でその次は40点なの???」と疑問だらけでしたが、最後は「そういうものだ」ということで理解しました。このゲームを買いたての頃は、最強のレベル5はとても歯が立たなかったものの、慣れてくると次第に勝てるようになり、打ち返しのボールの角度とスピードが爽快になりました。

ピンボール 任天堂 1984年2月発売
 買いたての頃はただ十字ボタンとAボタンを連射しまくっていただけでしたが、そのうちにフリッパーをタイミング良く操作して、玉を打つ方向をある程度定められるようになってきました。それがスコアに反映されるまでは、かなり時間がかかりましたが、運の要素が強いゲーム性の中で、「より確率を上げていく」楽しみを学べたゲームと言えます。おまけでマリオが出てくるのも良かったですね。

ワイルドガンマン 任天堂 1984年2月発売
 光線銃シリーズ第1弾。ソフトに光線銃とホルスターがセットになっていましたが、ホルスターは一度も使わずに、光線銃を画面に当てて遊んでました。「Fire!」と言われてからどれだけすぐに反応できるかがポイントですが、逆に言えばそれが全てとも言えます。ファミコンで初めて「音声合成」を使ったゲームです。

ダックハント 任天堂 1984年4月発売
 光線銃シリーズ第2弾。飛んでいるカモを狙い撃ちするので、前作ワイルドガンマンより難しかったです。それでも光線銃を画面にくっ付けて狙うと、簡単に仕留めることができました(せっかくのゲームが台無しですが)。このゲームにはおまけで「クレー射撃」があったのですが、こちらもなかなか楽しかったと記憶してきます。

ゴルフ 任天堂 1984年5月発売
 ファミコン初のゴルフゲームです。シンプルな操作でとっつきやすく、面白かったです。でも音楽が全く無く、効果音も最低限なものしか無く、「暗い」というのが印象にのこっています。ホールインワンを出しても、「プー・プー・プー」という音が出るだけで、淡々と次のホールに進みます。夜一人で遊んでいて、何だかちょっと怖くなったことがあります。

ホーガンズアレイ 任天堂 1984年6月発売
 光線銃シリーズ第3弾。人の形のパネルが数枚出てきて、「悪人」なら撃ち「善人」なら撃たない、というとっさの判断が求められるゲームです。ゲームは「射撃場」モードと「街中」モードがあり、刑事ドラマの銃撃戦のシーンで出てきそうな、「街中」モードの「いかにも」という感じの雰囲気が好きでした。

ファミリーベーシック 任天堂 1984年6月発売
 当時小学6年だった私は、ゲームを作ることにも興味を持ち始めていました。ファミリーベーシックはBASIC言語を使ってゲームが作れるというのが売りでしたが、当時の私は全く理解することができずギブアップでした。BASICの他に演奏ソフトも付いていて、妹のミニキーボードを弾きながら音階を打ち込んだものです。和音が無茶苦茶でしたが。

ドンキーコング3 任天堂 1984年7月発売
 ドンキーコングなのにシューティングゲーム。ファミコン版が発売される数ヶ月前に、近所のおもちゃ屋でゲームセンター版をやったことがあり、「ファミコンでも出るのかな?」と思ったら案の定出てきました。ファミコン版は初ゲームで50万点を超えて、その時には「やっぱり面白い!」と思いましたが、早い段階に達成感があったためか、その後は上達できませんでした。

ナッツ&ミルク ハドソン 1984年7月発売
 ハドソンの初期の作品で、ヒット作のロードランナーとほぼ同時発売。しかし私はナッツ&ミルクの方が好きでした。理由はジャンプできるから。全50面をノーミスでクリアするほどやりこみましたが、このゲームにエンディングがあるのを知っている人は少ないのでしょうね。

ロードランナー ハドソン 1984年7月発売
 パズル性の高いアクションゲームです。当時私は「横から見た平安京エイリアン」のイメージを持っていました。あまり熱心にやりこむことは無かったのですが、エディット機能で難解な面を作るのは好きで、自作面を友人にプレーさせて「これクリアできないよ」と言われたあと、自分でクリアするのを見せて思わず優越感…、というちょっと陰湿な過去を思い出します。

ギャラクシアン ナムコ 1984年9月発売
 ナムコのファミコンゲーム第1弾。このゲームが出ると知った時、小学校低学年時に出された「ゲーム禁止令」のことや、「ナムコの名作ゲームがこれからどんどん出るかも」といった、いろいろな思いが頭よぎりました。ゲームセンター版は5年も前の1979年に出ていたのですが、当時ファミコンではこの手のシューティングは出ておらず、新鮮な感じがして結構遊びこみました。

デビルワールド 任天堂 1984年10月発売
 このゲームから値段が4500円となり、カセットが透明のプラスチックケースに入れられて、パッケージが一回り大きくなったことを覚えています。ゲームは「強制4方向スクロールのパックマン」的なイメージですが、デビルの「コマネチ」やアイスクリームが画面を回る時の楽しい音など、細かいところの演出が凝っていてよかったです。

4人打ち麻雀 任天堂 1984年11月発売
 私は初代「麻雀」で麻雀のルールを覚えたのですが、まだ当時は本物の麻雀で卓を囲んだ経験はなく、「4人打ち」の有難さを実感できずにいました。どちらかといえば、初代「麻雀」の方が見た目も効果音も派手で好きでした。でも後年本物の麻雀をやるようになってからは、こちらの方が実践的で楽しく感じるようになりました。

F1レース 任天堂 1984年11月発売
 発売日直後、近所のおもちゃ屋に買いに行ったら、「売り切れ」ということで購入が遅れました。ただ、私は擬似3Dのドライブゲームはあまり得意ではなく、このゲームも例外ではありませんでした。後年、車を運転するようになってからは、夜の首都高や峠を走るのが好きになりましたが、このゲームのように車を爆発させたことは一度もありません。

パックマン ナムコ 1984年11月発売
 ナムコの名作ドットイートゲーム。後から出た「ゼビウス」ばかりやっていたため、うちではしばらく目立たない存在でした。ゲームセンター版では「美味しそうなフルーツ」もこのゲームの魅力だったと思いますが、ファミコン版はフルーツが単色になってしまい、パワーエサの方が美味しそうに見えました。

ゼビウス ナムコ 1984年11月発売
 言わずと知れた名作シューティングです。ファミコンを買った当初は、家でゼビウスができるなんて夢にも思っていませんでした。ゲームセンター版のゼビウスもよくやっていたので、ナスカの地上絵とアンドアジェネシスの浮遊が再現されていないのにちょっとがっかりしたものの、ゲーム性は全く損なわれておらず、ファミコン版も長い間楽しく遊べました。

アーバンチャンピオン 任天堂 1984年11月発売
 けんかゲーム。攻撃が「遅いけど強いパンチ」、「早いけど弱いパンチ」の2種類しかなく、最初は「あまり面白くないかも」と思ってしまいました。しかし、「早いけど弱いパンチ」と防御をうまく使うコツを習得し、2人プレーでは友人の間で敵なし、1人プレーでも60ラウンドまで行くほどになりました。最初の印象のわりには、長く遊べたゲームです。

マッピー ナムコ 1984年11月発売
 ゲームセンター版の6階建ての屋敷が、ファミコン版では5階建てになっていたものの、全く遜色の無い移植だったと思います。当時マッピーの音楽に乗せて、近所の雑貨店のハゲ親父を馬鹿にする歌があるなど(誰が作ったのでしょう?)、耳に残るナムコ調の独特の音楽が思い出深いです。当の本人はこんな歌が存在することなど知らなかったでしょうね。

クルクルランド 任天堂 1984年11月発売
 ファミコン初期の任天堂のゲームは2人同時プレーができるものが多く、しかも「ハズレ」が全くありませんでした。このゲームをやり始めの頃は、タイトルの通りクルクル回ってばかりいましたが、操作に慣れてくると画面の中を自由自在に動けるようになります。ちゃんと上達を実感できるところも、大きな魅力の一つなのでしょうね。

エキサイトバイク 任天堂 1984年11月発売
 「定価\5500」と、当時発売されたソフトの中では、一番価格が高かったです。このゲームの作者はドンキーコングやスーパーマリオも手がけていて、どこかの雑誌で「スーパーマリオの原型はエキサイトバイク」ということが載っていてびっくりしました。もちろん「パワーアップきのこ」のアイデアは後から出たのでしょうけど。

バルーンファイト 任天堂 1985年1月発売
 2人同時プレイ可能で、今までにない操作の感覚が面白かったです。敵を倒すと沼(?)からシャボン玉が出てきて、これを割ったときの音が「ふりかけっこ」と聞こえる、というくだらないことをよく覚えています。このソフトの「おまけゲーム」もなかなかよく出来ていて、私はメインのゲームよりもこちらの方ばかり遊んでました。

アイスクライマー 任天堂 1985年1月発売
 2人同時プレイ可能な冬山登り(?)ゲーム。ジャンプの感覚や雲に乗るタイミングが難しかったです。でも、面セレクトができてしまうために、これに頼ってあまり上達しませんでした。なかなか上に登れないでもたもたしていると、白熊が出てきて画面を強制的に押し下げる、という細かい演出が妙に好きでした。

ギャラガ ナムコ 1985年2月発売
 シンプルですが、奥の深いシューティングゲームです。ディグダグと同じくらい長期間遊べました。この頃のナムコのゲームは、するめのように「かめばかむほど味が出る」ゲームが多かったと思います。ちなみにゲームセンターではギャプラスが出ていましたが、個人的にはギャラガの方が面白く感じました。

エクセリオン ジャレコ 1985年2月発売
 慣性が働くシューティングゲームで、他のシューティングゲームとは一味違った操作感覚が好きでした。ファミコンでモアイ初登場のゲームは、グラディウスではなく、このゲームであるということはあまり知られていません。ただ、こちらのモアイは攻撃するわけでなく、背景にすっかり溶け込んでしまっています。

バンゲリングベイ ハドソン 1985年2月発売
 発売当時はあまり評価が高くなかったこのゲームですが、私はそんなに嫌いではありませんでした。「100画面の広さ」「ラジコン感覚の操作」「マイクに向かってハドソンと叫ぶと…?」という宣伝文句のような軽いノリではなく、その場その場の状況を考慮しつつ戦略を考える「シミュレーションゲーム」として考えれば、評価も変わってくると思います。

サッカー 任天堂 1985年4月発売
 野球、ゴルフ、テニスと、ファミコンでスポーツのルールを覚えていった私は、今度はこのゲームで「オフサイド」の意味を知りました。当時流行ったテクで、相手ゴール側に一人置いたまま、自軍ゴール付近からロングパスを出すと、とんでもないロングシュートが打てるというのがありました。このプレーは審判の目を欺き、「オフサイド」も取られないという、すごい裏技でした。

けっきょく南極大冒険 コナミ 1985年4月発売
 コナミのファミコンデビュー作で、イーアルカンフーと同時発売。スケーターズワルツの曲をバックに、制限時間内に目的の基地にたどり着くというゲームです。購入当日に南極一周できたので、難易度としてはかなり低かったと思います。主人公のペンギンは秒速10km以上(時速36000km以上)と、判っている範囲内でファミコン史上断トツの最高速度を誇っています。

忍者君 魔城の冒険 ジャレコ 1985年5月発売
 操作が独特で慣れるまでは大変なものの、一度慣れればジャンプをうまく使った技を繰り出せるなど、このゲームの奥深さが出てきます。オリジナルはUPLというメーカーのゲームセンター版で、ファミコン版は敵の種類が少ないらしいのですが、難易度が高いせいもあって、そこまで確認することが出来ませんでした。

ディグダグ ナムコ 1985年6月発売
 ファミコンの中で最も長期間遊べたゲームです。1年以上ほぼ毎日プレーしてました。岩を使って敵をいっぺんにやっつけて高得点を狙うもよし、方向ボタンを押しながらAボタンを連射する方法で確実に敵を倒して遊ぶのもよし。毎回遊び方が異なりますが、どのやり方でも楽しめる奥の深さは今でも通用するのでは?

フラッピー デービーソフト 1985年6月発売
 友人宅のパソコン版でやったのが最初で、面数が200面もあるので「ファミコンでは無理なのかな」と勝手に思っていたところ、あっさり出てしまいました。アクション性の高いパズルゲームで、パソコン版には無い「リモコンきのこ」が面白かったです。ただ、全200面のうち190面あたりまで行きながらも、結局挫折してしまうという苦い経験を持っています。

レッキングクルー 任天堂 1985年6月発売
 マリオが主人公の壁壊しゲーム。基本的にはアクションゲームですがパズル要素もあって、壊す順番を間違えてしまうとクリアできなくなる面もありました。全100面もあるのですが、面セレクト機能が付いていたので、これに頼ってあまり上達しませんでした。どんな壁も一撃で壊す「ゴールデンハンマー」は爽快でしたね。

スパルタンX 任天堂 1985年6月発売
 任天堂にしては珍しい、他社ゲームの移植版です。ゲームセンター版よりも難易度が落としてあり、比較的容易に一周クリアが可能でした。ただ、4面ボスのお婆さんはちょっと難しかったですね。ボスにやられたときや、偶数面をクリアした時の「わっはっはっはっはっはは…」という笑い声が憎たらしかったです。

ハイパーオリンピック コナミ 1985年6月発売
 人差し指と中指の間をあけて、例の専用コントローラーのボタンをこするテクニックで、100m走7秒台、走り幅跳び14m台の大記録を打ち立てたことがあります。ロサンゼルスオリンピックで大活躍だったカールルイスとイメージをダブらせましたが、今でも100mを7秒台で走れる人はさすがに出てこないですね。

スターフォース ハドソン 1985年6月発売
 スターフォースと言えば何といっても100万点ボーナスですね。暇な時には何かとこのゲームで遊んでいたのですが、ノーミスで300万点ぐらい行くほど上達しました。当時ある雑誌にプログラマーの開発秘話が載っていましたが、このゲームはコスト的な問題から、プログラムの簡略化にかなりの努力を払った、ということが印象に残っています。

エレベーターアクション タイトー 1985年6月発売
 タイトルの通り、エレベーターを利用したアクションゲームです。敵をやっつける方法が、鉄砲で撃つ、ジャンプして踏み潰す、ライトを撃ち落して頭に当てる、エレベーターで潰す、と4通りありますが、特にエレベーターで潰す方法は「重量感」が良く出ています。敵の攻撃が激しいこともあってか、どんなにがんばっても3面しか行きませんでした。

ロードファイター コナミ 1985年7月発売
 このゲームのスピード感はかなりのものです。慣れないうちは操作がうまくいかず、他の車にぶつけられてスピン、そのまま大破というのがパターンでした。しかし、「逆ハンドル」のテクニックを覚えてからは、自ら敵車に当たっていき、事前にリスクを回避できるようになりました。シンプルなゲームですが、「逆ハンドル」中毒者を生んだゲームです。

ドアドア エニックス 1985年7月発売
 エニックスのファミコンデビュー作。1980年代を代表するパソコンゲームのファミコン移植版です。当時のパソコンゲームらしく、アクションゲームにパズル性を持たせた形になっています。確か全50面で、5面ごとに特別アレンジのBGMが流れます。「沖縄風」アレンジの曲が妙に記憶に残っています。

ジッピーレース アイレム 1985年7月発売
 一度うちのファミコンと兄の友人のセガSG-1000を交換したことがあり、その中で一番楽しかったのがジッピーレースでした。それから数ヵ月後、ジッピーレースがファミコンでも遊べるようになり、「やっぱりセガよりも慣れているファミコンのコントローラーの方が操作しやすい」と思ったものです。でも、ゲームの難易度はファミコン版の方が少し高かったです。

内藤九段 将棋秘伝 セタ 1985年8月発売
 ファミコン初の将棋ゲームです。私は将棋やオセロなどの対戦ゲームは苦手で、「あまり強くない」と言われていたこのゲームでも、数えるほどしか勝ったことがありません。このゲームでは手を間違えた時に「待った」をかけられるのですが、Bボタンを連射して何度も頼んだ末に、コンピュータが差し戻してくれるというのが面白かったです。

ゲイモス アスキー 1985年8月発売
 ファミコン初の擬似3Dシューティングです。私は小学生の頃から天体観測が好きで、太陽系を舞台にしたこのゲームのグラフィックは、大変興味をそそりました。「最終面の冥王星ってどんな感じなんだろう?」ということで、当時はちゃんと最終面をクリアするところまで行ったと記憶しているのですが、残念ながら冥王星の画像そのものは記憶に残っていません。

ドルアーガの塔 ナムコ 1985年8月発売
 ファミコン版を購入する以前に、ゲームセンター版の攻略本を持っていて、実際にプレイしたことは無かったのですが、「アイテムが多くて面白そうなゲーム」とずっと思っていました。ファミコン版にもこの攻略本は使えましたが、一部アイテムの出し方が違う面があり、最終面をクリアするのに約1週間かかりました。攻略本なしでクリアできた人は何人いるんですかね?

10ヤードファイト アイレム 1985年8月発売
 敵の動きを欺きロングパス、それからタックルをうまく避けながらどんどん前に進むというのが結構快感でした。私はファミコンゲームを通して、いろいろなスポーツのルールを覚え、そして興味を持つようにもなりましたが、10ヤードファイトに関しては、純粋にゲームそのもののみ楽しんでいました。

バトルシティ ナムコ 1985年9月発売
 ゲームセンター版「タンクバタリアン」のリメイク。大きく変わったのは、パワーアップアイテムが加えられたのと2人同時プレイが可能になったことです。あと、マッピーやプーカーなどのナムコキャラの面があり、ナムコゲームファンにはたまりません。兄と2人同時プレイで全35面をクリアしたのが懐かしく思えます。

スーパーマリオブラザーズ 任天堂 1985年9月発売
 発売後数日経って爆発的なヒットとなり入手が困難になったゲームですが、たまたま発売日に購入していました。「早めに買っておいてよかった」と自分の運のよさに喜んだ記憶があります。隠しステージ、ワープ、「1UPきのこ」などなど、いろいろなフィーチャーがありましたが、何がどこにあるのかほとんど記憶するほど毎日遊んでました。

プーヤン ハドソン 1985年9月発売
 固定画面のシューティングゲームで、ゴンドラに乗った親ブタを上下に動かして弓矢を放ち、風船にぶら下がったオオカミをやっつけるというゲームです。オリジナルはコナミのゲームセンター版ですが、当時の私は「ハドソンも意外なところをついてくるなあ」と思いました。

シティコネクション ジャレコ 1985年9月発売
 チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第一番」をアレンジしたBGMに、ニューヨーク、パリ、ロンドンなど世界各地の風景。旅情溢れる雰囲気が好きで、結構長い間楽しめたゲームです。タイトルの「シティ…」は「都市」と「車」を引っ掛けていますが、このゲームのアイデアは元々どちらが先に来たのでしょうか?

ハイパースポーツ コナミ 1985年9月発売
 前作ハイパーオリンピックは陸上競技だけだったのに対し、本作はクレー射撃、三段跳び、アーチェリー、走り高跳びの4競技で、どちらかと言えばオリンピックの中でもマイナーな部類の種目も入っています。前作よりもタイミング重視のものが多いので、最初はなかなか先に進めませんでしたが、一度コツをつかんでからは楽に4~5周はできるようになりました。

チャレンジャー ハドソン 1985年10月発売
 このゲームの2面は100画面分の広さがあり、町や砂漠や工場地帯(?)など、マップ上にいろいろな場面がありました。当時私はBASICを習得して1年近く経っており、「こういう広大なエリアを移動できるゲームを作りたい」と思ったものです。ただ、当時所有していたパソコン「PC-6001mk2」は、決してチャレンジャーを作れるようなスペックではありませんでした。

キン肉マン マッスルタッグマッチ バンダイ 1985年11月発売
 私は小学生時代に大流行したガンダムやキン肉マンはテレビで見たことがなく(1回位はあるかも?)、「ガンプラ」も「キン消し」も一切興味がありませんでした。このゲームはよく2人対戦モードで遊んで結構得意でもあったのですが、友達が「キン肉マン用語(?)」で盛り上がると、何だか取り残された気分でした。

マッハライダー 任天堂 1985年11月発売
 このゲームを買うまでは、「任天堂のゲームならそこそここなせる」という自信がありましたが、その自信はもろくも崩れてしまいました。S字カーブの時に出てくる岩や黒い玉は、自分の反射神経ではとても避けれるスピードではなく、「運の良さ」以外にどうしたらいいのか全くわかりませんでした。それでも全面クリアできる人がいるというので、なおさら自信を失ってしまいました。

ルナーボール ポニーキャニオン 1985年12月発売
 全60種類ものいろいろな形のビリヤード台があり、自玉を落とさずに数字の書いてある玉を全部落とすと面クリア、というゲームです。実際のビリヤードと違って、玉が壁に当たった時の摩擦が考慮されていませんが、それでも「玉同士が衝突した時にどう進むか」を感覚的に知ることができました。後年、ビリヤードを初めてやった時にも、このゲームのことを思い出しました。

スターラスター ナムコ 1985年12月発売
 ナムコ初のファミコンオリジナル作品です。最初は3Dレーダーの見方が良くわかりませんでしたが、慣れてくると立体的な位置づけがわかるようになりました。今見ると画面はシンプルですが、自機の操作感覚や敵機との戦闘はかなりの臨場感でした。

スペランカー アイレム 1985年12月発売
 「すぐに死ぬキャラNo.1」で有名なこのゲーム、私は結構好きでした。洞窟のあちこちに落ちているアイテムを拾いながら、地底の深みへどんどん進んで行くという内容は、「水曜スペシャル」好きの私にはたまらなかったです。体半分落ちるだけで死んでしまうのは現実的には理不尽なのかも知れませんが、私はこの手の理不尽さには寛容で、「かなり難しい」と思う程度でした。

バイナリーランド ハドソン 1985年12月発売
 ヒット作のボンバーマンと同時発売。しかし私はバイナリーランドの方が好きでした。理由はBGM。後にこの曲がエリックサティの「おまえが欲しい」だということが分かり、すぐにCDを購入。さらに後年、楽器屋でエリックサティの楽譜を購入して、ジムノペディ第一番をキーボードで練習するまで、このゲームの影響は続きました。

ボンバーマン ハドソン 1985年12月発売
 このゲームの醍醐味は、連鎖爆発の爽快感でしょう。「爆風に対して無敵」のパワーアップがあれば、何でもやりたい放題という感じになります。連鎖爆発と言えば、古くはゲームセンターの「ミサイルコマンド」がありますが、ボンバーマンの爽快感もそれに劣りません。買ったその日に最終面をクリアできたので、難易度はそんなに高くないと思います。

ペンギンくんWARS アスキー 1985年12月発売
 手元に5個ずつある玉を、1分間にできるだけ多く相手の方に投げた方が勝ちというゲームです。ルールは非常にシンプルですが、テーブル上で玉がいくつもぶつかると動きが読めず、勝敗に運の要素もあったりして面白かったです。やはり複数プレーヤーでの対戦が燃えました。

ツインビー コナミ 1986年1月発売
 グラディウスと並んで、コナミの2大シューティングシリーズの元祖です。2人同時プレーも可能ですが、敵の動きが見づらくなるので、どちらかと言えば1人プレーの方が好きでした。「雲の中に隠れているベルを何回か撃って、特定の色になったらパワーアップ」というユニークな発想は、普通の人にはなかなか考えられないと思います。

ソンソン カプコン 1986年2月発売
 二人同時プレー可能な、食いしん坊(?)アクションゲーム。この手のアイテムが多種あるゲームは好きだったので、厳しいちらつきにも全くめげず、最終面の天竺まで行くことができました。ちらつきは別にして、ゲームセンター版より難易度が低かったと思います。

グーニーズ コナミ 1986年2月発売
 映画をゲーム化したものですが、私は映画の方は見ていません。でも、このゲームは「コナミの良質ファミコンゲーム」らしさが良く出ていて、私のお気に入りの一本です。アクション性、難易度、隠れキャラ、パワーアップアイテムなどが、バランス良く配合されていていて、キャラもBGMもかなりいいです。この頃から、私の「コナミゲームびいき」が始まりました。

ゼルダの伝説 任天堂 1986年2月発売
 ディスクシステム初のゲーム。買って何日かでディスクが壊れて読み込めなくなり、セーブしたデータが飛んでしまった上、仕方なく買いなおした苦い思い出があります。アクションRPGというのが新鮮でしたが、何よりもあの勇ましいBGMがお気に入りでした。

タッグチームプロレスリング ナムコ 1986年4月発売
 データイーストのゲームセンター版からの移植です。Bボタンを連射して技を選択、大技が決まったときには結構爽快でした。このゲームのキャラクターは長州力本人ではありませんが、「長州力もあの頃は若かったんだなあ」と、何故か昔を思い出してしまいます。

影の伝説 タイトー 1986年4月発売
 高い木もひとっ跳びの脅威のジャンプ力を持つ主人公。ただ、ジャンプの見た目の派手さに惑わされず、特に1面ではあまり多用しない方が無難です。剣を振り回しながら適当に手裏剣を投げているだけでも結構先に進めたので、意外と気軽に楽しめるゲームでした。

マイティボンジャック テクモ 1986年4月発売
 ゲームセンター版の元祖「ボンジャック」は、シンプルな面クリア型アクションゲームで、世界各地の建築物を背景にアニメ「スプーンおばさん」の曲やビートルズの「Lady Madonna」が流れます。ですので、初めてファミコン版をプレイした時は、「随分変わった」と思いました。色々と謎解き要素が加わったのですが、ボリュームが大きすぎて自分一人で全面クリアはちょっと無理でした。

グラディウス コナミ 1986年4月発売
 ファミコン版をプレーしたての頃は、「ゲームセンター版に比べてレーザーが短く、オプションが2つしかつかず、上下のスクロールが無く、BGMの調子まで違う」とブーブー言っていましたが、結局遊びこみました。仕様の劣るハードでも、アレンジの仕方やゲームバランスの調整で面白いゲームになる一例でしょう。

セクロス 日本物産 1986年5月発売
 奇数面はバイクの高速感にシューティング要素とアイテム拾い要素が程よく入っていて、敵車とのはじき合いも爽快感があります。一方偶数面は低速になるのですが、こちらは敵の弾を掻い潜りながら、迷路を抜けるような全く違ったアクション性を持っています。「低速面」は爽快感が劣ることもあり賛否両論ありますが、私はシューティングゲームの「弾よけ」の感覚のようで好きでした。

ドラゴンクエスト エニックス 1986年5月発売
 数あるドラクエの中で、私がプレーしたのは初代とドラクエ2のみ。中でも初代ドラクエは当時のファミコンゲームとしては本当に新鮮でした。シナリオ堀井雄二、デザイン鳥山明、音楽すぎやまこういちというチームも最強でしたね。エンディングを見た後も、最強の戦士を作るべく遊び続けていました。

魔界村 カプコン 1986年6月発売
 ゲームセンター版は1周クリアしたことがあるのですが、ファミコン版は1面をクリアするのも難しく、結局あまり先の面まで行けずに挫折してしまいました。ただ、ファミコン版も不気味な感じは良く出ていました。間違って「たいまつ」を拾ってしまった時には、なんとも言いようの無い悲しみがありましたね。

スターソルジャー ハドソン 1986年6月発売
 昔からシューティングゲームは好きなものの、左利きということもあって「連射」はあまり得意ではありませんでした。それでもスターフォースまでは何とかついていけたのですが、このゲームは全く歯が立ちませんでした。このゲームの爽快感を味わうことができたのは、後日連射機能付きのジョイスティックを買ってからでした。

バベルの塔 ナムコ 1986年7月発売
 L字型のブロックを使ったアクション性のあるパズルゲームで、全部で64面あります。ブロックは「右向き」「左向き」で使い方が変わってくるので、この辺の感覚を覚えるのが難しかったです。結構やりこんで全面クリアしましたが、さすがに「裏面」は手をつけられなかったです。

がんばれゴエモン!からくり道中 コナミ 1986年7月発売
 この頃からカセットの大容量化が進み、ゲームのボリュームがどんどん大きくなってきました。このゲームも広大なマップ、数々のアイテム、隠れキャラ、3D迷路…、など様々なものが詰まっています。もちろん楽しく遊べましたが、ゴールが遠すぎて気力が持たず、結局最終面までたどり着きませんでした。

ソロモンの鍵 テクモ 1986年7月発売
 全50面のパズル要素の高いアクションゲームです。Aボタンで石を造ったり消したりできるのですが、これを応用したテクニックが多数あり、面クリアの方法も人によって違ったりして、非常に奥の深いゲームです。グラフィックやBGMもよく雰囲気が出ています。このゲームはテクモの中で一番のお気に入りでした。

悪魔城ドラキュラ コナミ 1986年9月発売
 雰囲気のあるグラフィックとBGM、緊張感たっぷりのアクション性、ステージ毎に特徴のあるボス…、と何を取っても文句の付け所のないゲームです。私が買ったディスクシステムのゲームの中では間違いなく一番でした。悪魔城シリーズもいくつか出ましたが、私がプレーしたことがあるのは初代のみです。

プロレス 任天堂 1986年10月発売
 「キン肉マン」、「タッグチーム」に次ぐ、3作目のファミコンプロレスゲームですが、やはり任天堂だけあってうまくまとめてきました。猪木やキラーカーンのようなレスラーや、半魚人のような意味不明のキャラもいて、それぞれの持ち技の違いが面白かったです。特に2人対戦プレーが熱くなりました。

燃えろツインビー シナモン博士を救え! コナミ 1986年10月発売
 お馴染のツインビーですが、本作は横スクロール面と縦スクロール面が交互に来る形になって、さらに外付けのジョイスティックを使えば3人同時プレー可能です。淡い色合いのせいか、多人数プレーだと自機の位置がわからなくなることもありますが、難易度はあまり高くなく、私は1日で全面クリアできました。ゴエモンやコナミマンなどコナミキャラも満載です。

きね子 アイレム 1986年11月発売
 変なタイトルですが、「キネティックコネクション」の略です。「動画のジグソーパズル」と言った感じで、当時も「面白い発想だなあ」と思ったものです。あまりヒットしたゲームではありませんでしたが、全10面、16ピースから36ピースまで、全てクリアするほどやりこみました。

ザナック ポニーキャニオン 1986年11月発売
 知る人ぞ知る、「ファミコン史上最高のシューティングゲーム」とも言われている作品です。この撃ちまくりの爽快感は、他のゲームでは味わえません。難しいゲームでもありましたが、一度だけ何かの拍子に自機の数が200機になってしまい、その時だけ最終面をクリアすることができました。


プロ野球ファミリースタジアム ナムコ 1986年12月発売
 友人と一緒にトーナメントを開くほど、本当に良く遊びました。このゲームがきっかけでプロ野球をテレビ観戦するようになり、選手の名前を覚えるようになりました。さらに進んで近所のバッティングセンターの常連になってしまい、さらに数年後には年間ホームランランキング10位でトロフィーをもらうまでになったのですが、とにかく原点は「ファミスタ」なのです。

謎の壁ブロックくずし コナミ 1986年12月発売
 リメイク版ブロック崩しの元祖、ゲームセンター版の「アルカノイド」は1コインで全33面クリアできるほどやりこんだのですが、ファミコン版に関しては「アルカノイド」よりも「謎の壁」の方が好きでした。発売時期がクリスマスに近いこともあってか、エンディングがクリスマスを意識していたのが印象的です。

キングコング2 怒りのメガトンパンチ コナミ 1986年12月発売
 画面にあるものは、ほとんど何でも破壊可能な爽快ゲームです。ジャンプをすると着地の時に画面全体が揺れて、キングコングの重量感が良く出ています。ただ、マップが広く、最終面をクリアするには、かなりの時間と労力を費やしました。この頃のコナミらしさが良く出たゲームだと思います。


光神話パルテナの鏡 任天堂 1986年12月発売
 ノリのいいBGMに加え、ゲーム全体もなかなかいい雰囲気を出しています。ただ、1面からいきなり難しく、1日だけ遊んだ後しばらく手を付けなかったという思い出があります。それでも何回かやっているうちにようやくコツをつかんで、結局は最終面をクリアすることができました。「ヤラレチャッタ」というメッセージが懐かしいですね。


火の鳥 鳳凰編 我王の冒険 コナミ 1987年1月発売
 手塚治原作の漫画(映画化もされています)をゲーム化したものですが、例によって私は漫画の方を全く知りません。しかし、このゲームは「鬼瓦」の使い方に奥深いものがあって、原作を知らなくても十分楽しめるものに仕上がっています。ボスキャラはあまり強くなくどんどん先に進めるのですが、「ワープ」をうまく使わないと全面クリアできないので、ちょっとした根気は必要です。


ドラゴンクエストII 悪霊の神々 エニックス 1987年1月発売
 その後発売されたゲームも含めて、私がクリアした最後のRPGです。私は元々アクションゲーム好きの上、ファンタジー系のストーリーがあまり得意ではありませんが、ドラクエは1も2も楽しく遊べました(でも「もうお腹いっぱい」という感じでした)。何にしてもすぎやまこういち作曲のBGMが印象に残っていますね。


ナゾラーランド サン電子 1987年2月発売
 3D迷路やパズルゲームなど、小粒のゲームを集めたオムニバスソフトです。中でも日本全国を移動しながらクイズに答えるという、「日本一周ウルトラクイズ」というゲームが好きでした。画面はほぼテキストのみで非常にシンプルなのですが、電車での移動や「新潟の米俵」などの挿絵に旅情を感じました。


愛戦士ニコル コナミ 1987年4月発売
 「私が選ぶファミコンBGM大賞」があるとしたら、このゲームで決まりです。曲調からしていかにも「コナミ矩形波倶楽部」という感じですが、グラディウスや沙羅曼蛇よりもこのゲームの曲の方がよりポップな感じで好きです。ゲームそのものもこの頃のコナミらしいコミカルな感じで難易度も高すぎず、購入後数日で最終面をクリアすることができました。


ファミリージョッキー ナムコ 1987年4月発売
 私はこの頃ゲームセンターのメダルゲームにはまっていて、パソコンで「競馬賭けゲーム」を自作した程でした。本作では「おまけ」で勝ち馬を当てるモードがありましたが、それ専用では遊べずちょっと残念に思いました。それでもジョッキーになってレースに勝つ、というのも、ゲームとしてちゃんと面白かったです。「クラシックは障害戦」という誤った知識を得てしまいましたが。


オホーツクに消ゆ アスキー 1987年6月発売
 北海道を舞台にした、推理アドベンチャーゲーム。ストーリーが毎回変わるわけではないのですが、北海道の雰囲気が伝わるゲーム展開とポップなBGMが好きで、何回もクリアしてしまいました。数年後、大学生時代に車で北海道一周旅行をしましたが、時折このゲームの場面を思い出していました。私が旅行好きになった原点のゲームかも知れません。

バブルボブル タイトー 1987年10月発売
 ゲームセンター版からの移植で、ファミコン版は色数が少ないものの、全体としてはなかなか良くできていました。この手の「操作テク系」「多アイテム系」ゲームは好きなので、もちろん最終面(100面)クリアまで行きました。一度1人プレーでクリアしてエンディングが見られず、後日2人プレーでクリアしてエンディング…、という経験をした人は多いのではないでしょうか?

鉄道王 デービーソフト 1987年12月発売
 4人まで同時プレー可能で、「双六陣取りゲーム」といった感じでしょうか。自分が通った都市間の路線を買うことができ、その路線を他のプレーヤーが通ると、通行料を徴収でるというシステムです。発売が12月だったこともあり、年が明けて「正月は双六」ということで、兄弟&いとこでこのゲームに熱中しました。ヨーロッパの地理も学習できますよ。

コナミ ワイワイワールド コナミ 1988年1月発売
 主人公のコナミマン、コナミレディの他に、ゴエモン、シモン(悪魔城ドラキュラ)、マイキー(グーニーズ)、モアイなど、コナミキャラ大集合のゲームです。シューティング面ではビッグバイパー(グラディウス)とツインビーまで出てきます。当時「コナミゲームびいき」だった私ですが、このゲームはまさにコナミゲームの「集大成」で大満足でした。

アイスホッケー 任天堂 1988年1月発売
 本物のアイスホッケー同様、かなりスピード感のある展開です。パックの奪い合いが乱闘に発展することもあり、退場者がでることもあります。ボタンを押しっぱなしでためて打つと強力なシュートが放てて、結構これが癖になりました。他社からも色々なスポーツゲームが出ていましたが、「任天堂はやはり外さないなあ」と強く感じました。

ファイナルラップ ナムコ 1988年8月発売
 ファミスタシリーズ以外では、私が最後に購入したファミコンゲームです。ファミコン購入から5年近く経ち、「擬似3Dレースゲームで2人同時プレー可能なんて、ファミコンゲームも随分進化したものだ」と感じました。この頃には自作ゲームを作る方に専念しつつあって、ゲームをプレーして楽しむよりも、プログラミング技術の方に目が向いていました。
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