私は小学校1年生の頃から、近所の駄菓子屋や玩具屋にあった「スペースインベーダー」や「ギャラクシアン」で遊んでいたほど、根っからのゲーム好きでした。しかし、小学2年で全校「インベーダーゲーム(ゲームセンター)禁止令」が出されてしまい、それからしばらくゲームから遠ざかった生活になってしまいました。でも「ゲーム禁止令」が出たからと言ってゲーム嫌いになる訳ではありません。その後もゲームウォッチを買ったり、「ゲームセンターあらし」を読んだり、いとこの家に行ってエポック社の家庭用ゲーム機「カセットビジョン」で遊んだり、また遠出したときにゲームセンターをのぞいたりして、自分の欲求を満たしていったものです。
「インベーダーゲーム禁止令」から3年程経った1983年の秋に、「うちもそろそろゲーム機を買おう」ということになりました。当時、ゲーム機は何種類かあったのですが、ファミコンは本体価格が\14,800と他のゲーム機よりも安かったことと、小学生の目から見ても画面の綺麗さが他の機種を完全に圧倒していたことから、ファミコン以外の選択肢は全く考えていませんでした。その年の11月にファミコン本体とゲームソフト「ポパイ」と「マリオブラザーズ」を買ってもらい、それから兄と一緒にほとんど毎日遊んでいました。
その後しばらくしてファミコンブームが起こり、近所の子供たちも相次いでファミコンを購入しました。私はテレビの後ろの配線を自分で取り付けていたのですが、その噂が近所にも広まったのか、近所の2~3件にも配線取り付けを頼まれたことがありました。
ファミコンを購入した1983年10月から1985年夏ごろまで、出るゲーム出るゲーム小遣いをはたいて全て購入しました。「ゲームごときに…」と言う人もいるかも知れませんが、この頃に得た知識が今でも生きているものがたくさんあります。テレビやオーディオ機器の配線から始まり、PCプログラミングを習得する動機を得たこと、音楽に興味を持ち楽譜が読めるようになったこと、ゴルフ、野球、テニス、サッカーなどのスポーツのルールを覚えられたこと、それにゲームに限らず、いろいろな作品を創る上でのこだわりや独自性の大切さが分かったことなど。ファミコンを購入していなければ、そういった知識を得ないまま今まで来てしまっていたかも知れません。
そんなファミコンも中学を卒業した頃から、あまりやらなくなってしまいました。パソコンを購入したことから、「ゲームで遊ぶ」ことよりも、どちらかと言えば「ゲームを作る」方に興味が移行していったことがあります。でもそれ以上に、新発売のゲームに対して以前ほどの楽しさを感じなくなってしまった、ということの方が大きいと思います。何となくゲームのアイデアがマンネリ化してきたようにも感じましたし、それとも自分が歳を取ってしまったからなのかな、とも感じました。ファミコン以降も「スーパーファミコン」「プレステ」などいろいろな機種が出ていますが、私にとってはファミコンが最初で最後の家庭用ゲーム機となってしまいました。しかし、ファミコンは私の人生の中で、重要な存在であったということは揺るぎのない事実でしょう。
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