タスマニアへの道標

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製作: 小川 邦久

酔っ払いおじさん


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おススメの本: 乗馬への道〈Vol.10〉タスマニア馬紀行


− 1996年8月17日 ロンセストンにて −
 この日の朝、メルボルンからスピリット・オブ・タスマニアで約14時間かけて、ようやくタスマニア北部のデボンポートに到着しました。 正直な話ひどい船酔いで、船内にいる間はずっと気分が悪く、夜も何度か目が覚めてしまうほどでした。 しかし、到着と同時にロンセストン行きのバスが来てしまっていたので、気分がすっきりしないままバスに乗り込みました。 最初の宿泊場所をロンセストンにするかホバートにするか少々迷いましたが、単純にデボンポートから近いという理由でロンセストンにしました。
 デボンポートを出て約1時間半でロンセストンに到着しましたが、まだ泊まるところが決まっていませんでした。 私は外国で一人旅をする人なら誰でも持っている某ガイドブックのオーストラリア版を持っていましたが、タスマニアについてはあまり詳しく載っていませんでした。 そこでメルボルンで手に入れた「FREE BACKPACKERS GUIDE」という旅行者向けの無料の雑誌を頼りに、目的のバックパッカーズに向け歩き始めました。 途中少し迷ったものの30分ほど歩いて到着し、早速チェックインしてしまいましした。
 この日はあいにくの雨で、外に出て何かしようという気にはあまりなれませんでした。 でもせっかく来たんだから、ということで近くのカタラクト渓谷に足を運びました。 しかし天気が悪いとやはり気分も今一つでした。 渓谷内にトレッキングコースがあるものの、かさをさしながら歩くのいうのはあまり楽しいものではありません。
 その後はバックパッカーズに戻り、ベッドで横になっていました。 船酔いの影響もあったのか、体が少し疲れていたようです。
 夕方前、そのバックパッカーズにヨーロッパ人の母子がやってきました。 母親はウースラさん、子供はヨリスといい年は10歳ぐらいでした。 二人はオーストリアから来たということでしたが、どちらも英語が堪能で、さすがだな、となんとなく感心してしまいました。 ヨリスが夏休みということでオーストラリア旅行に来たらしいのですが、合計1ヶ月の日程というのを聞いてびっくりしました。 日本人はもとより、他の国の人でも1ヶ月もかけて母子で旅行する人なんて今まで聞いたことがありません。
 私とヨリスは相部屋で、日本人である私のことが珍しかったのかいろいろと日本のことで質問を受けました。 ヨーロッパの子供は大抵そうですが、ヨリスも結構大人びた子供でした。 日本の学校のシステムや、日本語の文法についての質問はありましたが、間違ってもゲームやマンガの話にはなりませんでした。(後にキャンベラで25歳くらいのオーストリア青年に会いましたがこちらのほうは「日本はマンガ天国でうらやましい」と言うぐらいマンガ好きでした)
 数十分後、今度は酔っ払った感じのおじさんが入ってきました。 名前はカンさんといい、ホバート出身の人でした。 島内を旅行中と言うことでしたが、旅行というよりは飲み渡っているような感じでした。 事実、会った時も結構酒臭く、朝から晩まで休みなく飲んでいるんじゃないかと思わせるほどでした。 そのカンさんと1分も話していないうちに「つり教えてやるから今度うちに来いよ」と誘われてしまいました。 その時はかなりびっくりしたのですが、後になってタスマニアではこんな感じの人が多いということがわかりました。
 タスマニアの人のオーストラリア本土に対する反骨心は相当強く、例えば同じオーストラリア国内の人でも出身がタスマニア以外だと「本土の人」(mainlanders)と別人のように片づけられてしまいますし、また、その「本土の人」がタスマニアに引っ越してきたとしても、数年は話をしてもらえないなんてこともあったそうです。 最近ではそのようなことは随分少なくなったみたいですが、東京からいなかに引っ越すと村八分にあう、という日本国内の話にもよく似ているような気がします。 そのかわり、旅行者に対しては異常なぐらい親切で、これも「うちの方が本土より上だ」というのを見てもらいたい一心なのです。 タスマニアの人は少しでも話せばすぐに「うちに遊びにこないか」と誘ってくれます。 オーストラリア人はよくフレンドリーだと言われますが、タスマニアの人々はそれ以上に旅行者に対してフレンドリーと言ってもいいでしょう。
 夜になりヨリスはウースラさんと一緒に食事へ、カンさんもどこかへ飲みに行ってしまいました。 ヨリスは8時ぐらいには帰ってきて、旅の疲れか結構眠そうな感じでした。 私もその日はかなり疲れていたので、9時ぐらいには電気を消して二人とも眠ってしまいました。 ところが深夜2時ごろ、カンさんが大声を出しながら部屋に戻ってきたのです。 私はすぐに目が覚めてしましたが、とりあえず眠っているふりをしていました。 その後カンさんは独り言をぶつぶつ言いながら、部屋をうろつき回っていましたが、突然ヨリスを起こして、「ピザがあるんだけど食べないか」と言いました。 ヨリスは少し不機嫌な口調で「いらない」といいましたが、カンさんは全く気にせず、また部屋をうろつき始め、それから椅子に座ってたばこに火をつけました。 このバックパッカーズは全室禁煙でしたが、カンさんはそのことは知らないようでした。 私はたばこは全然吸わないものの、あまり人の煙も気にならないほうで、別にそのまま眠っちゃってもよかったのですが、ヨリスのためにもと思い、「すみませんが、ここ禁煙なんですけど」と言いました。 カンさんはすぐにたばこを消しましたが、その後少しいじけたような感じで「俺って悪いやつだよな」と独り言を連発していました。 気分を害しちゃったかな、とも思いましたがそれからしばらくしてカンさんもベッドに入り、いびきをかいて眠ってしまったので、こちらも安心して眠れました(少しうるさかったけど)。
 次の日の朝、カンさんはホバートに向け出発の準備をしていました。 「昨晩は悪かった。今度うちに遊びに来いよ」と言い残してカンさんはバックパッカーズを後にしました。 その時に電話番号はもらったものの、時間が取れず遊びに行けなかったことを今でも残念に思っています。

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