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コンドルは飛んでゆく
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製作: 小川 邦久

1日目 その(1) 2000年4月28日(金曜日)リマ到着


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 アトランタからリマに向かう飛行機の中、入国カードと税関申告書を記入していたのだが、税関申告書の方はスペイン語でしか記述されておらず、意味がわからないところがあった。ふと隣の席を見ると、中年のおばさんがスペイン語のペーパーバックを読んでいたので、「この人なら分かるだろう」と思い、「すみません、ここの意味がよく分からないのですが」と声をかけた。

 なんてことはない、居住地と搭乗機の質問だったのだが、残念ながら持参した「携帯四ヶ国語単語変換機」はここでは役に立たなかった。このおばさんの名はアグスティ(Agusti)さん。「後ろの席に日本人がいっぱいいるけど、一緒じゃないの?」と聞かれたが、「いや、一人で来たんですよ。まだ一泊めのホテルの予約をした他は、何も予定が決まっていなくて」と言ったら「大丈夫なの?」と心配されてしまった。後ろにいる日本人はきっとパッケージツアーで添乗員付きで来ているのだろう。こっちはそんなお金が無いので、日本で一切の手配を行わず、現地での手配に賭けてみた。日本語、英語が通じないことのリスクは高いかもしれないが。
 ペルーと言えば「危ない国」というイメージが付きまとう。早大生殺人事件やテロリストによる大使館占拠があったのもこの国だ。一応多少なりの現地情報の収集、スペイン語の学習は行ったが、やはり安心な旅行ではないのは確かだ。

 アグスティさんが「あなた不安だから、タクシー一緒に乗る?」と言ってくれた。これはラッキー、「ぜひそうしましょう」と即答した。まあ、国際線の飛行機に乗るような人だから、悪い人である可能性は少ないだろう。

 空港到着が午前4時で、早速タクシーに乗り込んだ。運転手はアグスティさんの知り合いで、名前はロドリゲス(Rodriguez)。英語が全く話せないため、片言のスペイン語で挨拶をした。
 空港を出て30分ほどでアグスティさん宅に到着した。日の出前で暗くてよく分からなかったが、門構えが良く、結構裕福な家庭のようだ。アグスティさんは「ちょっと待って」と言って家に入ってしまった。5分後また家から出てきて、「あなたの予約しているホテル高いから、別の安いホテルを探してあげたわ」と言って、ロドリゲスにその住所の書いてある紙を渡した。「ホテル予約入れてるんだけどな」と思ったが、ここは流れに身を任せようと思い、そのままタクシーに乗り込み、ミラフローレス(Miraflores)のそのホテルへと向かった。

[ Parque del Amor ]



[ Michelle Inn ]
 ホテルの場所は海のそば、名前はMichelle Innという。一泊US$30で、もともと予約を入れていたホテルの半額以下だった。トイレもシャワーも部屋についており、ベッドも清潔、ケーブルテレビでNHKなんかも見られる。悪くは無い。しかしロドリゲス同様、このホテルの管理人さんも全くと言っていいほど英語が話せない。話に聞いていた通り、リマでの英語の通用度は本当に低いようだ。

 今回の旅行の目的はクスコ(Cusco)とナスカ(Nazca)に行くことだったのだが、とりあえず初日はこの日程組みの作戦を練らなくてはならない。ホテルのキッチンで個人旅行者のバイブル『地球の歩き方』を見ながら朝食を取っていたら、ホテルの従業員が声をかけてくれて「友人がツアー会社で働いている。もしよければ電話するけど話してみるか?」と言われた。「オーケー」と言うと早速電話をかけてくれて、「こっちに来い」と呼ばれた。電話の相手はジェーム(James)、リマでは珍しく英語が堪能で、話っぷりにしてもとりあえず信用がおけそうだ。「ホテルはUS$50で」ということを条件に、クスコ、ナスカのツアーを組むよう依頼して、午後に会う約束をした。

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