ロサンゼルス(Los Angeles) 初めての海外旅行で一人旅日記


1994年9月2日(金) はれ
文字通り長い一日(出国編)

 目覚まし時計のベルで朝の5時前に目が覚めた。昨晩寝たのが11時ぐらいだったので、6時間眠っていたことになる。目覚めはとてもよかった。
 7時7分新宿発の成田エクスプレスに余裕を持って間に合わせるために、5時半に武蔵野のアパートを出た。スーツケースを転がすとガラガラと近所迷惑になるのではないかという程の騒音をたてた。歩き始めの数分はスーツケースをわざわざ持ち上げたりしていたけど、面倒になって後は転がしっぱなしだった。
 成田エクスプレスはデビューの時の輝きはなくなってしまったけど、少なくとも外観はスカイライナーよりいい。それに中央線との連絡もいい。でも酔ってしまった。成田空港の第一ターミナルビルに着いた頃には吐き気さえもした。
 吐き気が治まってからターミナルビル内で朝食を食べた。クロワッサンとスープとサラダとコーヒーだ。しばらく日本食からおさらばになるけど、パンが食べたかったので素直にそうした。
 空港のチェックインの時間がきた。会社は大韓航空。間違えて飛行機がサハリン上空を飛んだり、キム・ヒョンヒが乗っていたり、副操縦士が着陸を失敗したり、そんなことのありませんように、と思うわけでもなくカウンターに行ったら、
「君、ビジネスクラスでいいよ。今日はサービス」
ラッキーと思った。
 ビジネスクラスの座席はゆったりしていて、両手すりの間であぐらをかけるほど広かった。機内の放送は韓国語、英語、日本語の3ヶ国語で行われていた。乗客を見回してみると7〜8割は日本人で、韓国人のスチュワーデスも日本語でサービスを行っていた。
 昼食はもちろん機内食で、和食と洋食に分かれているうちの洋食にした。韓国料理があればそれにしようと思ったのに、なくて残念だった。
 出航から3時間ほどで窓の外の景色が暗くなり、機内のライトが消えて、モニターで流れる映画の明かりだけになった。


新宿駅で
前のおじさんも写真を撮っている。


成田空港第一ターミナルビル内で
写ルンですのフラッシュの限界を見た。


1994年9月2日(金) はれ
文字通り長い一日(入国編)

 目が覚めて機内のモニターを見ると、すでに日付変更線を超えていると分かった。しばらくして、空があかるくなってきたところで朝食が配られた。パンとフルーツとスープとコーヒーだった。正直言って全部まずかった。
 アメリカ大陸が見え始めた。どこなのかはわからないけど山々の頂上が雲の間からのぞき込んでいて、時折海岸線が見えた。しばらくすると下一面が雲に覆われてしまって、地面が全く見えなくなってしまった。
 それから30分ほどで、ロサンゼルス国際空港に到着した。入国審査も税関検査もカードに記入して出すだけだったので、問題なく通り抜けた。
 しかし、時間は午前8:30。まだホテルにチェックインするには早すぎる。特にやることもなく、1時間ほどロビーでボーっとしていた。
 あまりにも暇だったので、帰りの航空券の予約の再確認をすることにした。電話帳で"KOREAN AIR"を探して、ロビーにある公衆電話から電話をした。
「えー、アイドライクトゥー、リコンファーム、マイリザベイション(I'd like to reconfirm my reservation)」
"OK, what's your flight number?"
「ケーイーオーワン、えーっと、フォートウキョウ、リービングアットイレブンエーエムオンセプテンバーナイン(KE001 for Tokyo leaving at 11:00 AM on September9、もちろんメモを見ながら)」
"What's your XXX(聞き取れず) name?"
「クニヒサ オガワ」
"Ku.ni.hi...sa...o..gawa?"
「マイファーストネームイズクニヒサ」
"What's your last name?"
「あっ、オガワ」
"XXX(聞き取れず)?"
「えっ?」
"ホカニダレカイマスカ?"(日本語を話せるのだ)
「いいえ」
...
これが生まれて初めての英会話だった。ものすごく緊張した。とは言っても、ほとんど会話集のような会話だったし、そのうえ相手が日本語を知っていたのでなんとかなった。
 そしてまたやることがなくなってしまった。ロビーの外に出かけてみたけれど、スーツケースがあるので盗難に会ったらまずいと思い、また1時間ほどボーっとしていた。
 それから、スーツケースをコインロッカーかどこかに預ければいいんだと思い、ロビーのインフォメーションカウンターに行き、そこの白人のおばさんにたずねてみた。
「フェアキャナイディポジットディスラゲージ(Where can I deposit this laggage?)」
"XXX(聞き取れず)?"
「?」
"XXX(聞き取れず)?"
全く聞き取れなかった。その人が別の人を指さしたので、そこに行って、
「キャニュースピークジャパニーズ(Can you speak Japanese?)」
と聞いたら、
"No."
と言われてしまった。でもとてもゆっくり話してくれて、なんとかそのカウンターの中に荷物を預けることができた。
 昼食はビル内のファーストフード店ですませた。ピザとチョコレートドリンクで合わせて5ドルほどだった。
 2時間ほど空港のまわりをウロウロして、預けた荷物を取りに行った。それでもまだホテルにチェックインするには早すぎるかなと思い、また1時間ほどロビーでボーっとしていた。それから外に出てタクシーに乗ってホテルに着いた。ちゃんと「キープザチェインジプリーズ(Keep the change, please)」と言って12ドルの料金を15ドル払ってすませた。最後に「サンキュー」と言ったら、その黒人の運転手は"OK."と言って走り去っていった。
 チェックインをすませて部屋に入り、すぐに実家に電話をした。そして、そのままベッドで眠ってしまった。
 そして3時間ほどで目が覚めてしまった。外は暗くなっていた。
※1ドル=約100円


ロサンゼルス国際空港のターミナルビル外
 


ラマダホテル
ここに7泊した。


ホテルの自分の部屋で
 


ホテルの自分の部屋の窓から
写真中央は別のホテル、右はスーパー。


1994年9月3日(土) はれ
カルバーシティ(ホテルの近所を散歩する)

 朝の7時に一度目が覚めたけど、眠かったのでもう2時間ほど眠った。
 起きてからテレビでアニメを見た。画面の下に英語の字幕が出ていたので、他の番組より分かりやすかったからだ。
 それから腹が減ってきたので、ホテル内のレストランで食事を取ることにした。
 席に座ってすぐに、メニューをろくに理解できないうちにウェイターが注文を取りに来た。いちいち面倒だったのでメニューの一番上を指して、
「ディスプリーズ」と言った。
 するとウェイターが、
"Nothing else?"
と言ったので何もいらないと思いYesと言って答えた。答えた後で、あっ日本語につられちゃった、と思った。
 しばらくして、えびのしっぽが5本、氷の入ったグラスに外向きにささっているものだけが出てきた。ウェイターが"Nothing else?"と言ったことも納得できた。
 それを食べ終えてすぐに、ウェイターが再び注文を取りに来た。
「カフィ」
と言ってコーヒーを頼んだ。
 会計はえびとコーヒーにチップ1ドルと加えて、10ドルちょっとだった。高すぎる。
 それからホテル周辺の道路を歩いてみた。車はいっぱい走っていたけれど、歩いている人は自分以外にほとんどいなかった。
 再び部屋に戻り、非常用に日本で買っておいたカロリーメイトのチョコレート味を食べた。やはり、えび5本だけでは体がもたない。
 しばらくして意味もわからずテレビを見ていたら、メイドさんがドアをノックするなり鍵を開けて入ってきた。
「おーっ、ジャスタモーメント」
"I'll be back later."
 スーツケースを整理して、枕の下にチップとして1ドル札を置き、かばんを持って部屋を出た。しかし何もやることがない。車のレンタルの予約を今日からにしておけばよかったのになあ、と少し後悔した。何分かぶらぶら歩いていたら公園があったので、そこのベンチに座ってボーっとしていた。
 夕方、部屋に戻って実家に電話をかけようとしたら直通ダイヤルが使えなくなっていた。しかたなく電話でオペレーターを呼んだ。
「アイドライクトゥメイカロングディスタンスコールトゥジャパンプリーズ(I'd like to make a long distance call to Japan, please. 会話集の文章そのまま)」
"Ok, XXX(聞き取れず)"
「ステイショントゥステイションコールプリーズ」
"XXX(聞き取れず)"
「プリーズスピークモアスローリー」
"Ok, XXXX....(電話を切って、始めに9を押してください。そして001と押してください)(と言ったと思う)"
「アイスィー。サンキュー」
"You're welcome."
でも電話を切って9を押しても「ピーポーピーポー」と鳴って通話することはできなかった。もう一度電話でオペレーターを呼んだ。
「アイプッシュドナイン。バットアイキャント。ピーポーピーポー」
"XXXX....(下に降りてフロントで20セント払えば電話できます)(と言ったと思う)"
「アイスィー。サンキュー」
"You're welcome."
滅茶苦茶な会話である。結局面倒なのでフロントには行かなかった。その後30分ほどしたら直通ダイヤルができた。
 それから何時間かテレビを見ていた。


ホテルの近所の交差点で
 


ホテルの近所の公園で
なぜか黒人が多かった


1994年9月4日(日) はれ
サンタモニカとビバリーヒルズ(シーサイドドライブ)

 朝食はドクターペッパーと、きのうスーパーで買ってきたオレオで済ませた。
 今日はレンタカーの予約をしてあるので、わざわざ空港まで行かなくてはならなかった。最初はバスで行こうかと思ったけど、路線図がなく、見当違いな場所に行ったら困るので、ホテルの前に止まっていたタクシーに乗って空港に行った。到着して料金を聞いたら7ドルちょっとだった。ということは、2日前に乗ったタクシーに5ドルもぼったくられたということになる。そういえば、わざわざ遠まわりをしていたような気がした。マナーに従って運賃を10ドル札で払って、おつりを受け取らずに車を降りた。
 やっぱり腹が減ったので、空港のターミナルビルのファーストフード店で七面鳥のサンドイッチとチョコレートドリンクを平らげ、それからインフォメーションカウンターに行って、車を借りられる所を聞いた。
 空港からバスに乗って5分、レンタカー会社に到着した。ここでは一切英語がいらなかった。日本で予約をすると、家に封筒で日本語の書類が届く。それに書き込んでカウンターの人に渡すだけで、あとはその人が手際よくやってくれる。
 車はフォードのマスタング。オートマチックの左ハンドルだ。
 というわけで、早速プラヤ・デル・レイという町の海へ行った。海の色が青くて本当にきれいだ。ふと感じたのが魚臭くないことだ。日本では海水浴場さえも、魚の生臭さが漂っているところがあるが、ここは本当に臭くない。でも海の匂いだということは、ちゃんとわかる。純粋な海の匂いとでも言えばいいのだろうか。
 よし、ここで休むことにしよう、と思い、5ドル払って駐車場に車を止めて、砂浜で仰向けに寝そべった。
 潮の香りとまぶしい太陽、真っ白な砂浜。うーんハマってるね、と思ったらゴーっとすごい音が聞こえてきた。すぐ上をジャンボジェット機が飛んでいた。よく考えてみると、ここはロサンゼルス国際空港のすぐそばだった。その後も5分おきぐらいにガンガン飛行機が飛んできて、うるさくてたまらないので、また車に乗ってサンタモニカに向かうことにした。
 途中でマクドナルドに寄って昼食をとった。ビッグマックとポテトのMと大きさを期待しつつコーラのLを頼んで、全部で4ドルだった。味の方は日本と変わらない。コーラは容器そのものは日本よりかなり大きいが、氷の量も多く、ちゃんと全部飲めた。これならびっくりドンキーのびっくりコーラの方が量が多くてびっくりする。
 ちなみに単品ではビッグマック1ドル79セント、フィレオフィッシュ1ドル40セント、ナゲット6個ピース1ドル69セント、ダブルチーズバーガー1ドル29セント、飲み物は大きさによって59〜99セント。他にサラダなどもあって、バリエーションに富んでいた。あと、値段はパネル式に表示されていたので、時期によって変化するのかも知れない。
 サンタモニカは街も海も、ものすごく奇麗だ。日本人がイメージする西海岸はまさにここにあると言っていいと思う。ボーっと海を見ているだけで時間が過ごせる。崖の下に海岸があるというのが、また何とも言えない味を出している。
 その後ビバリーヒルズに行ってみた。たぶん、ロサンゼルスに来たてにここに来たら感動したのでは、と思うが、何かもう見なれた風景のような気がしてしまった。まあ金持ちの人が多そうな街だ。


ホテルの駐車場でマスタングを背に
この車で1000km以上走った。


サンタモニカの海岸
 


サンタモニカのオーシャン通り
 


サンタモニカの公園内で
見えにくいけど、うしろの木の下のほうにリスがいる。


ビバリーヒルズのはずれのとある一軒家
 

 

1994年9月5日(月) はれ
L.A.コロシアムとダウンタウン(小便臭い街へ)

 今日は昼前に起きた。洗濯物が増えてきたので、フロントで札をコインに替えてもらい、ホテルの地下のコインランドリーで洗濯をした。使用料は、洗濯機が75セント、乾燥機が50セントだった。日本では一度もコインランドリーに行ったことがないので、これが高いのか安いのかはわからない。
 昼食は、ファーストフード第2弾として、バーガーキングに行ってみた。ワッパー(マクドナルドのハンバーガーより一回り大きいサイズで、中に肉とレタスとトマトが挟んである)とチキンサンドイッチとコーラのLを頼んだ。値段は忘れてしまったが、マクドナルドより少し高くついたと思う。味はマクドナルドよりおいしいと思う。日本にバーガーキングはあるのだろうか?
 エクスポジション公園に着いた。エクスポジション公園には1984年のロサンゼルスオリンピックの競技会場となったL.A.コロシアムや、NBAのロサンゼルスクリッパーズのホームであるスポーツアリーナなどがある。コロシアムの北側に大きな芝生の広場があって、そこで中南米系(たぶんメキシコ)の人がサッカーをしていた。聖火台の裏側は観光名所になっているのか、普段あまり写真を撮る姿を見たことがない白人の人が、その聖火台をバックにカメラを向けていた。ここで自分もと思い、別の白人のおじさんに写真を撮ってもらった。小学校6年生のころ、ロサンゼルスオリンピックをテレビでよく観たものだった。男子マラソンで瀬古を応援しようと夜更かしして生中継を見たっけなあ。途中で眠っちゃったけど。カールルイスはここで4冠を達成したんだよなあ。あの、フラフラになってゴールに入ったアンデルセンも、400mハードルで金メダルを取ったエドウィンモーゼスも、舞台はここだったんだよなあ。そして、10年前にはテレビでしか見れなかったその場所に今、自分がいるんだ。そう思うと、鳥肌が立つほど感動した。
 それからダウンタウンへ向かった。ダウンタウンは賑やかな街と聞いていたのだが、閉まっている店が多く、とても閑散としていた。というのもアメリカでは9月の第1週の月曜日はレイバーデイ(日本で言えば勤労感謝の日?)にあたり、休日は店さえも閉めることの多いこの国では、ダウンタウンも例外にはならないようだ。駐車場も管理人がいないので無料で駐車できた。始めにリトル東京を歩いたのだが、こんなものかな、という程度。日本からの団体観光客が来ていた。ここの店でファンタストロベリーを買って一気飲みをした。それからブロードウェイに向かって歩いたのだが、その道にはたくさんのゴミが落ちていて、そして小便臭かった。10mほど車道を隔てた反対側の歩道には、黒人の浮浪者がたくさんいた。その奥の通りには汚いコンクリートの建物がずっとならんでいる。それからぶらぶら歩いて、インフォメーションセンターで地図を買って、ホテルへと向かった。


ホテルの地下のコインランドリー
ひまだったので撮った。


L.A.コロシアム
 


L.A.コロシアムを背に
 


スポーツアリーナ
正面からの写真。


スポーツアリーナ
こちらは裏側。


バラ園
これも公園内。奥の建物は自然歴史博物館


リトル東京の一画で
少し分かりづらい?


ブロードウェイで
この日のダウンタウンで人通りが一番多かった。


ブロードウェイで
 


チャイナタウンで
ダウンタウンの北のはずれにある


1994年9月6日(火) はれ
グリフィス天文台(L.A.の全景を見下ろす)

 今朝はメモを置いてホテルを出た。というのも2日前から電話の調子がおかしくなっていたからだ。ベルが「ジリッ…ジリッ…」というような感じで鳴り続き、電話に出ても「ツー」と鳴っているだけで誰も出ない。そして電話を切ると、また鳴り始める。まあ時間がたてば直るだろうと思い、後ろのプラグを抜いておいたのだけど、きのうの夜、プラグを差し込んでも直ってなくて、今朝もだめだった。この事をフロントに言えるほどの英語力はないので、辞書を駆(苦)使してなんとかメモを書いた。これをベッドを直しにくるメイドさんが見てくれれば、何とかなるだろうと思った。

メモの原文そのまま
これを受話器の上に置いた。

 夕方になってホテルの部屋に戻ると、電話はちゃんと直っていて、メモも捨ててあった。通じた、うれしいな、と思った30分後、また同じようにベルが鳴り始めた。もう知らない。

 今朝は日が昇る前から起きていた。
 空がぼんやりと明るくなってきた朝の7時に車で海に向かった。海を横にFMでオールディーズを聴きながら、時速50マイルで走り抜ける。我ながら似合ってないと思う。
 それからガソリンスタンドでガソリンを入れた。これはアメリカならではのセルフサービス方式だった。機械にクレジットカードを差し込み、後は自分で入れるだけ。ちなみに料金は1ℓあたり30セントちょっと。マスタングの燃費は6.5km/ℓだった。(1ガロン=3.8ℓ 1マイル=1.6kmとして)
 その後、レンタカーの返却場所を確認しに行き、ついでにロサンゼルス空港周辺の道路を覚えた。ニセのタクシーの運転手にでもなろうかと思った。
 そのままグリフィス天文台に行くはずだったのが、曲がるところを曲がり忘れてしまったので、どうせだからと思い、またエクスポジション公園に行った。その公園内にあるマクドナルドで昼食を取った。
 グリフィス天文台に着いたのは午後の2時ぐらいで、もちろん星は見えない。ここはロサンゼルス全体が見渡せる所として有名で、たくさんの観光客が夜景を観にここを訪れるらしい。それは後日にとっておくとして、昼間でもなかなかの絶景であることに間違いはない。また天文台にはハッブル望遠鏡の模型や多くの天文写真などが展示されていて、さらにプラネタリウムなんかもある。
 それから再びロサンゼルス国際空港に向かった。実家に電話をかけるためだ。ホテルの電話はなぜか外線に繋がりにくい。きのうは丸一日繋がらなかった。今日は確実に、と思ってそこまで行った。もちろん電話できた。


ホテルの部屋の電話機
これにはさんざん悩まされた


ガソリンスタンドで
左のライトグリーンの枠内にクレジットカードの差込口がある。


グリフィス天文台
 


グリフィス天文台から見たロサンゼルス市街
左の方のビル群がダウンタウン。


グリフィス天文台から見たハリウッド山
 


ハッブル望遠鏡の模型
グリフィス天文台内の写真。


1994年9月7日(水) はれ
ティファナ(メキシコ入国)

 メキシコに行こうと決めたのは、ロサンゼルスに来てからだった。ガイドブックにそのメキシコの国境の街のティファナのことが載っているのを見て、国境を越えてみたいなと思ったのがきっかけだ。しかし、ロサンゼルスからの距離は片道200km以上もある。まあ、でもせっかくだから行ってみようと決意したのは3日前である。

 朝は7時前に起きた。早速、すでに行きつけの店をなっているセブンイレブンに車で朝食を買いに行った。七面鳥のチーズサンドとびん入りのコーヒーを買った。コーヒーはコーヒーあめを溶かしたような味で、日本の缶コーヒーと比べたら飛びぬけてまずく感じた。
 それからガソリンスタンドに行き、ガソリンを満タンに入れて、いざティファナへと出発した。
 アメリカの高速道路は基本的に無料なので、好きな所から自由に出入りできる。インターチェンジの数は日本と比較にならないぐらい多い。車線は片道4車線が普通で、多い所では6車線や7車線もある。それでも渋滞するらしい。
 高速を2時間ほど走った後、少し早めの昼食をまたまたマクドナルドでとった。ここに東洋人が来るのが珍しいのか、男の子がこっちをじろじろ見ていた。この場所はサンディエゴのはずれで、ついでに観光もしようかと思ったけど、地図もないのに市街地なんかに行ったら一生戻れなくなってしまうと思いやめた。
 それから高速に戻り、20分ほどで国境のそばの駐車場に着いた。それから歩いてメキシコに入国するのだが、回転式の柵のゲートが2つあるだけで、すんなりと通り抜けてしまった。
 入国して始めに思ったのは匂いが違うこと。そして雰囲気もアメリカとは全く違う。もちろん日本とは天と地ほどの差がある。言葉はスペイン語だけど、ロサンゼルスにもメキシコ人がたくさんいるので耳慣れてはいる。意味はさっぱりわからないけど。
 セントロ(ダウンタウン)に向かって歩いているとおみやげ屋のおじさんに、
「センセイ!」と呼ばれた。無視して歩いていると別のおみやげ屋のおじさんに、
「ヨッパライ、チョットマタンカ」と言われた。これには少し笑ったけど手を振って買わないことを示した。それにしても、こんな言葉を誰が教えるのだろう。
 しばらく歩いた後に、せまい歩道にある露天に立ち止まって、おみやげを買うことにした。30cmほどの大きさのギターもどきのかざりと、それより一回りほど小さなギターもどきと、木彫りのあひるのような人形をそれぞれ指差して、
「ディスアンドディスアンドディス、ハウマッチ?」と言ったら、その店のおじさんが、
「テンダラーズ、ナインダラーズ、トゥエルブダラーズ」とそれぞれを指さして答えた。全部足して31ドルだったら、まあいいかなと思い全部買うと言ったら、
「ナインティーンダラーズ」と安くしてくれた。ガイドブックにはメキシコの通過ペソよりもドルの方が喜ばれる、と書いてあったのだが、20ドル札を渡したら、おつりの1ドル札を品物の下の敷物の下から取り出していたので、見つかると何かまずいのかな、と思ったけど、まあ買うことはできた。
 それから、ぶらぶら歩いていたら、また別のおみやげ屋のおにいさんに、
「トモダチ、チョットヨッテ」と呼び止められた。ポンチョか毛布のどちらかを買おうと思ったところで、ちょうどその店に両方置いてあったので立ち寄ることにした。
「アナタノナマエナンデスカ」
「おがわ」
「オーオガワサン、ニホンデハサトウサンシッテル。ボクノナマエハカルロス」
「カルロス?おーミスターカルロス(これしか言葉が浮かばなかった)」
「メキシコドウデス?ディファレントでしょう?」
「インタレスティングです」
「インタレスティング?」
「(ポンチョを指さして)これいくら?ハウマッチ?」
「チョットマッテクダサイ…○○ペソです」
「ドルでは?ダラー?」
「チョットマッテクダサイ」と言って紙に110と書いた。
「ひゃくじゅうダラー?高いねー。トゥーエクスペンシブ」
ここで紙を渡されて、いくらがいいか書いてくれと言われたので、50と書いた。ガイドブックに相手が法外とも言える値段を言うので、こちらも思い切って値切ろうと書いてあったのだが、今考えると全然甘い気がする。次に相手が75と書いたので、70と書いた。書いた直後にしまったと思ったのだが、これで決まってしまった。たぶん、値切りのうまい人なら、さらに半額以下に値切れたのではないかと思う。値切りが下手だなと後悔しつつも、まあいいやと思い70ドル出したら残りが3ドルちょっとになってしまった。しかたがないので店を出ようとしたら、
「チョットマッテ、ミルダケ」と引き止められた。まだ売る気のようだった。でも、
「もうお金ない!アイハブノーマネイ!」と言って店を出た。最後に、
「アリガトウ!」と言われた。
 まだティファナに入ってから1時間と経っていなかったのだけど、手持ちが3ドルでは、さすがに不安になってしまった。トラベラーズチェックは持っていたけど直接店で使うことはできないだろうし、銀行も見当たらなかったので、ティファナを出ることにした。
 メキシコからアメリカに向かう途中に陸橋があって、そこに10人ぐらい女の人や子供がコップをこちらに差し出して、お金をめぐんでくれと言うような格好で座り込んでいた。
 国境の税関でアメリカ人と一緒に並んでいて、順番が来たので日本のパスポートを見せたら不思議そうな顔をして、ぶつぶつと何かを言っていた。それから少し考えた後で別の人のところに何事かを相談しに行った。まずいかなと思った直後、OKと言われてホッとした。
 税関を出るとすぐに銀行があったので、そこでトラベラーズチェック100ドル分を両替してもらった。
 その後、近くにあったマクドナルドに入って、トイレだけを使わせてもらった。するとメキシコ人らしき人が扉を開けて大便をしていた。メキシコではトイレに扉がないのか、それとも、たまたまその人がそうしただけなのかはわからない。だいいちメキシコ人でないのかもしれない。そういえばロサンゼルス空港でも同じようなものを何回か見た。別に扉が故障していたわけではない。
 帰りはノンストップでロサンゼルスへ向かった。2時間半かかった。


高速道路(フリーウェイ)で
 


とあるパーキングで
 


メキシコとの国境で
写真を撮ってもらおうと思ったけど、みんな急いでいたのでやめた。


ティファナの国境のそばの広場で
 


セントロに向かう橋の上で
 


おみやげ屋さんと一緒に
これはカルロスの店ではありません。


1994年9月8日(木) はれ
L.A.コロシアムとリトル東京とグリフィス天文台(L.A.の夜景を望む)

 今日やることはきのうのうちに決めておいた。
1.昼前ぐらいに起きる。
2.洗濯物をコインランドリーで洗濯する。
3.リトル東京でおみやげを買う。
4.ドジャースタジアムを見るだけでもいいからとにかく見る。
5.グリフィス天文台でL.A.の夜景を望む。

 今日は10時半に起きた。さっそく洗濯物をビニール袋につめて、ホテルの地下のコインランドリーに行った。
 乾燥機を使っている間に車でなじみのセブンイレブンに行った。大きさが焼きそばパンの4倍ほどもある、レタスとトマトと七面鳥のハムをフランスパンではさんだものとコーラを買った。レジのお兄さんが会計の時に口笛を吹きつつ、
"How are you today?"と言ったので、 「アイムファイン」と答えた。たぶんここに東洋人がめったに来ないので顔を覚えたのだろう。こちらもそのお兄さんを含めた4人ほどの店員さんを覚えている。とても短くてとても簡単な会話だったけど、とてもうれしく感じた。
 洗濯を終えて早速ダウンタウンに向かった。
 途中でL.A.コロシアムの見納めとして、エクスポジション公園に寄った。そこのマクドナルドでコーラのLを買って飲んだら気持ち悪くなって途中で捨てた。
 ダウンタウンに着いて、路上駐車をすることにした。パーキングメーターに75セント入れて、30分で買い物をすます予定だった。しかし車を降りて数メートル歩いた所でなにか頭の中にピンとくる物を感じた。振り返ってみるとメキシコ人風の男が車をじろじろ見ていた。前から見たり横から見たり、見るというよりは車内をのぞくといった感じだった。あまりに怪しいので車に戻って運転席のドアを開けて何かをチェックするふりをしたら、その男は鍵屋の中に入った。そこの店員のようだった。また車から離れると、その男がまた車をじろじろ見始めた。こりゃたまらんと思い、75セント分をあきらめて、1時間3ドルの駐車場に駐車しあ。ただ車を見たいためだけにみていたのだったら悪いとは思うが、状況が状況なだけに疑わざるを得なかった。
 リトル東京で買い物をすませて、ドジャースタジアムに向かった。距離的にはダウンタウンを少し離れた程度で、車で5分とかからないはずだったのに、迷いに迷って1時間かかってやっと探し当てた。もちろんストライキ中でゲートは封鎖されていたけど、別の入り口からこっそり車で入って写真だけは撮った。
 そして、今回のロサンゼルス旅行の最後を締め括る夜景を観に、グリフィス天文台へと向かった。今日は2日前とは違う高速道路を使ったルートで行った。というのも2日前に通ったウェスタン通りというのが正直言って怖かったからだ。黒人の男がいきなり道路の真ん中に飛び出して、白人のおじさんの車を止めて、何事か文句を言っていた。この黒人の男は変に興奮しているようだった。何か薬でもやっていたのだろうか。とにかく、その通りには少し変な雰囲気を感じた。
 グリフィス天文台に着いたのは午後の4時で、まだ日の入りまで3時間ほどあった。他にやることもないので、天文台に入ってぶらぶら歩いていろいろ見物することにした。
 いろいろ見た中で一番よかったのが、太陽のプロミネンスを生で観察できたことだ。2日前に来た時はこんなのがあるなんて知らなかった。
 しばらくして腹が減ってきたので、外の売店でサンドイッチとドクターペッパーを買った。日本ではこんなに堂々と「ドクターペッパーください」なんて言えない感じがする。なんとなくだけど。今度またロサンゼルスに来る機械があったら、ドクターペッパーばかり飲もうかな、とひそかに考えている。
 日が暮れた。夜景はものすごくきれいだった。日本では絶対に見られないスケールのものだったと思う。感動した。でも個人的には直線的なロサンゼルスの夜景より、曲線的な函館の夜景の方が好きかな。


高速道路(フリーウェイ)で
只今ストライキ中。

 

夕方のロサンゼルス(1)
 


夕方のロサンゼルス(2)
 


太陽が西に沈み…
 

 

ロサンゼルスの夜景
「写ルンです」では夜景は取れないので、絵葉書から拝借。


1994年9月9日(金)10日(土) L.A.はれ 東京はれ
帰国(日本人vs.日本人)

 朝4時半に起きて荷物のチェックをした。お金も航空券もパスポートもちゃんとあるのを確認してからテレビを見た。どの放送局もニュースばかりやっていた。
 7時に部屋の引き出しにある聖書を、ちゃんと日本人らしく拝借することにしてホテルをチェックアウトした。
 もうすっかり乗りなれたマスタングに乗って、レンタカー会社にそのマスタングを返しに行った。
 レンタカー会社のバスで空港に着き、早めに搭乗機のチェックインを済ませた。
 ターミナルビル内のファーストフード店で、ホットドッグとコーラを買った。コーラは全部飲めずに捨ててしまった。
 出航は11時だった。
 機内食にすしが出た。そういえば米を食べるのはずいぶん久しぶりだなと思った。手掴みでそれをバクバク食べたが、とてもまずかった。ふと見ると隣に座っていた20代半ばぐらいの日本人の女の人が、すしをナイフとフォークを使って食べていた。なんだこの人は、という感じだった。
 それから、とても疲れていたので何時間か眠った。
 目が覚めてからしばらくして、その人が外国人用の入国カードに書き込んでいたので、あれ、おかしいなと思い尋ねてみた。
「それ、日本の人も書かなきゃいけないんですか?」
「え?…あら、外国人用って書いてあるわ。そういえば日本を出国するときに日本人用の入国カードに記入したんだっけ。1年半も日本を離れてたから忘れちゃった」
「そんなに長くですか?」
「ええ。ずっとアリゾナに住んでいたの。あなたはロサンゼルスから?」
「ええ。英語もろくにしゃべれないのに1人で行っちゃったんですよ」
「ロサンゼルスどうだった?」
「面白かったですよ。毎日何かしら発見がありましたから」
「海外は初めて?」
「そうなんですよ。初めてなのに1人なのは、ちょっと無謀だったかなって気がしましたけど」
「ハプニングとかなかった?」
「特にはなかったんですけど、もう少し長くいたい気がしましたね」
「私はロサンゼルス嫌いなの。だってスモッグで汚いでしょう?」
「確かにスモッグはありましたけどね」
まあ、こういう人もいるのだろうと思った。
 機内では「メジャーリーグ2」を放映していた。字幕がなかったので話の内容はよくわからなかったけど、それにしてもあまり面白い映画ではない気がする。
 飛行機が成田に到着した。あまり久しぶりという感じはなかった。飛行機を降りてまず感じたのは、とてもじめっとしていることだった。
「じめじめしてるわね」
「そうですね。蒸し暑いですね」
「私、日本で嫌なのがね、なんか変に物価高いじゃない」
「ガソリンなんかアメリカは日本の1/3ですものね」
「ホテルもアメリカでは1部屋単位で料金を取るでしょう。日本は1人ごとに取るからなんかだまされてるみたいね」
「高速道路もアメリカではタダですしね」
「だからフリーウェイって言うのよ」
「それぐらいは知ってますよ」
それもわからないでアメリカに行くほど無謀ではない。
 それから入国審査を受けて、手荷物を受けとりにターンテーブルに向かった。
「私があなたに感心したのはね、あんなにまずい機内食を、あんなに早く全部たべちゃったことよ」
「まあ腹が減ってましたから」
 自分のスーツケースが出てきたので、それを受け取って税関へ向かった。
「それではお気をつけて」
「お気をつけて」

 帰りも成田エクスプレスに乗ることにした。今度は酔わなかった。


帰国便の大韓航空機
 


新宿行きの成田エクスプレス
本当に疲れました。


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