フィンランド&エストニア家族旅行日記
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製作: 小川 邦久
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7日目 - 2009年8月23日(日曜日) 曇り
タルトゥ
エストニア 世界遺産
「エストニアの精神的首都」と呼ばれているタルトゥ(Tartu)へ行くため、タリン中心部から少し東に外れたバスターミナルに向かう。バスターミナルはちょっと古びたコンクリート製の建物で、無機質なデザインにソビエト時代の面影を感じる。タルトゥまでは片道2時間半。運賃は大人1人150クローン(約1,296円。4歳の息子は無料)。カウンターで私と妻の分300クローンを払おうと思ったが、手持ちの現金が不足していたのでクレジットカードを出したところ、クレジットカードは受け付けていないとのことだった。カードの通用度が高いエストニアなのに、このレベルの金額でカードが使えないのは非常にめずらしい。ユーロで支払えないか聞いたところ、これもダメ(ちなみにユーロとクローンは固定相場)。両替コーナーが3つ隣のカウンターにあったが、日曜日ということで閉まっていた。「困ったな…」と思って辺りを見回すと、「PLUS」マークがあるATMを発見、幸いなことに東京三菱UFJ銀行のカードでお金(クローン)を降ろすことができた。
タリンのバスターミナル
[ タリンのバスターミナル ]

タルトゥ行きのバス
[ タルトゥ行きのバス ]
タルトゥ行きのバスがやってきた。気になったのが車内にトイレがないこと。片道2時間半の道のりでトイレがないのは、4歳の子供にとって少々きつい。念のため出発前にバスターミナルのトイレ(使用料5クローン=約43.15円)に行ってからバスに乗り込んだ。「途中どこかでトイレ休憩があるのだろう」と推測していたが、結局終点のタルトゥまで一度も止まることはなかった。息子は道中ほとんどの時間眠っていたこともあって、何事もなかったのは幸い。
タルトゥ到着直後にマクドナルド(息子のチョイス)で昼食を取って、日本と同じような「プレイランド」で息子を遊ばせた後、街を歩いてみた。
市庁舎のあるラエコヤ広場からタルトゥ大学と聖ヨハネ教会を経て、トーメの丘をぐるっと一周するルート。タルトゥ大学は1632年設立で、エストニア国内では一番古い大学。エストニアで最も優秀な学生が集まるということなので、きっと日本でいう東京大学のようなところなのだろう。
タリンのバスターミナル
[ タルトゥ大学 ]
タルトゥ・市庁舎
[ 市庁舎 ]
タルトゥ・聖ヨハネ教会
[ 聖ヨハネ教会 ]
タルトゥ・大聖堂(現・タルトゥ大学博物館)
[ 大聖堂(現・タルトゥ大学博物館) ]
タルトゥ・旧天文台と記念碑
[ 旧天文台と記念碑 ]
トーメの丘には世界遺産もある。ドイツ出身の天文学者フリードリッヒ・ゲオルグ・ヴィルヘルム・フォン・シュトルーヴェ(名前が長すぎる)が中心となって、1816年から1855年にかけて設置された三角測量点群があり、これが「シュトルーヴェの測定孤」と呼ばれている。これらの測量点群は正確な地球の大きさを測る上で多大な貢献をしたということで、2005年に世界遺産に登録された。この測量点群は北極海に面する北端のFuglenes(ノルウェー)から黒海に近い南端のStara Nekrasivka(ウクライナ)まで、直線にして2800kmに達するが、トーメの丘にある旧天文台の測量点はそのほぼ中点に位置し、またシュトルーヴェが当時所長を務めた場所であった。
タルトゥの街の大部分は落ち着いた雰囲気があり、またタリンと違って観光客が少なく、より深くエストニアを実感できる場所だと思う。
ただ、落書きが多いことには閉口した。街にある公園、トイレ、橋など、公共施設の多くの場所に落書きが見られた。トーメの丘にある「天使の橋」も落書きだらけで、これではせっかくの名前が泣いてしまう。
あと、バスターミナル近くの大通りでは、若者数人が改造スクーターでウイリー走行を楽しんでいたりもしていた。日本でも所々で見られる光景だが、もしかしたらどこかに共通点があるのかも知れない(あまり良くないことではあるが…)。
壁の落書き
[ 壁の落書き ]
タルトゥ・公園で遊ぶ息子と地元の子
[ 公園で遊ぶ息子と地元の子 ]
タルトゥでの観光も一通り終わり、息子を公園で遊ばせていると、隣の遊具で遊んでいた男の子がやってきて、日本語で「こんにちは」と話しかけてきた。両親と生後10ヵ月の弟もこちらに来て、母親が「こんにちは」と挨拶した。
男の子の両親は2004年に8ヵ月間、大学の関係で東京の目白に住んでいたとのこと。父親の方はソビエト時代に今のロシアで生まれ、現在はタルトゥ大学で脳化学を教えている。ロシア語、エストニア語、英語の3つを理解するが、家族とはエストニア語で話す。父親がソビエト時代を振り返り、「当時はタルトゥに軍の施設があり、自由に旅行するのは不可能だった。もしその時代にこんな感じでここに来ていたら、きっと『誰か』があとをつけていただろう」とのこと。今の自由を謳歌したい。
バスターミナルで帰りのチケットを購入しようとしたところ、受付の女性が英語を全く理解できなかった。数字さえも分かってもらえない。何とか「タリンに行きたい」ということは理解してもらえたようだが、何時何分発のバスで何人分のチケットがほしいのか理解できなかったようで、紙とペンを渡された。「17:30発のバス」ということで"17:30"と記入、大人2人と4歳の子供1人で"2 adults, 1 child←4 years old"と書いたが、「1」の数字が読みづらかったらしく(もしくは4 years oldを4枚と勘違い?)、大人2枚、子供2枚分のチケットが発行された。子供分は無料なのと、バスは満席になるほど混みあわないこともあり、特に何も言わずにチケットを全て受け取った。ちなみにここでもクレジットカードとユーロの利用は不可。

帰りのバスにはトイレがあったが、故障で水が流れないため使えない状態だった。そして不安は的中。道中、息子が便意を催した。しかし、バスは止まれず、息子は目に涙を浮かべながら40分もの間トイレを我慢した。そして、タリンのバスターミナルに到着すると同時に、妻と一緒に5クローン(約43.15円)のトイレに直行、何とか大丈夫だった。
エストニア最後の夜は、タリン旧市街のレストランで食事をすることにした。旧市庁舎の東側にあるHOPNERという店に入った。注文したのはザリガニのスープと豚肉の串焼きとラム肉とポテトフライ。
ちなみに、エストニア人は1800年代前半の農奴解放まで、長年に渡って貧しい農民時代を過ごしていたこともあり、厳しい栄養状態の中、オートミール、ポテト(煮物)、チーズなどで毎日を凌いでいた。そのため、中華料理やフランス料理といった、その国特有の料理というものは存在せず、基本的には「ポテト+肉」という組み合わせがエストニア料理の主流になっている。近年はエストニアにも色々な国の食文化が進出しており、フランス料理、イタリア料理などヨーロッパ系料理の他、日本料理、タイ料理、インド料理など、アジア系料理も入ってきている。

タリン旧市街を出て帰りのトローリーバスに乗ったのは午後10時。今までで一番遅い帰りだったが、息子はゲストハウスに到着しても元気だった。
タリン旧市街地・旧市庁舎のライトアップ
[ 旧市庁舎のライトアップ ]



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