英語が本当に苦手な人の英語学習法

製作: 小川 邦久

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8.オーストラリア・ワーキングホリデー留学


 ワーキングホリデー留学は、カナダでの語学留学の前から考えていました。当初予定していたのが、カナダの語学学校が終了したらそのままカナダのワーキングホリデービザを取得して滞在しつづける、というものでした。しかし、VIA鉄道でのロッキー山脈越え旅行中に出会った「ワーキングホリデーでカナダに来ている」という日本人女性が、「カナダではなかなか仕事が見つからない。オーストラリアにも行ったことがあるけど、あっちの方が仕事が探しやすいみたい」ということを言っていたので、それがきっかけとなって予定変更となりました。あと、カナダでは語学学校やホームステイの件もあったりして、「カナダはもういいや」という気分にもなっていました。そのため、カナダでの滞在延長はせずに日本に帰り、改めてオーストラリアのワーキングホリデービザを取ることになりました。オーストラリアに出発したのは、カナダから帰国して2ヵ月半後のことです。



 オーストラリアの滞在はまずシドニーからでした。今回も現地に到着してから語学学校を4週間分手配しました。もちろん英語を学習する目的もありましたが、メインに考えていたのが他のワーキングホリデー滞在者などから「現地の情報収集ができれば」ということでした。しかし、語学学校に通うような人はオーストラリアに来たての場合が多く、役に立つ現地情報を持っている人は全くいませんでした。考えてみると当たり前のことです。その学校にもやはり数多くの日本人が来ており、特にワーキングホリデーで来ている人が半数以上でした。そこでびっくりしたのが、日本で英語の勉強を全くやらずに来ている人ばかりということでした。「海外で暮していれば自然と英語が喋れるようになる」という幻想を抱いていたのでしょうか。


 英語の知識が何も無い状態で海外に来て、ワーキングホリデー期間の1年程度で英語がペラペラになる人はいません。しかも英語を知らない日本人は、現地でも英語を知らない日本人同士でつるんでしまうことが多く(英語が話せないので、現地の友人を作りづらいのは当然です)、また仕事も日本人相手のお土産店や飲食店などしか選択肢がありません。このように全く英語を学べない環境のまま1年を過ごしてしまうケースが大変多いのです。それでも本人がやりがいを感じているのであれば全く問題はないのですが、ワーキングホリデーに「英語の上達」を求めるのであれば、やはり日本にいる時から英語の学習をそれなりにやらないと、現地でも成果が出ないのは目に見えています。日本人滞在者の多いシドニー、ゴールドコースト、ケアンズでは、特にそのような「英語を学びたいと思ったのに学べない」悪循環に陥ってしまう人を何人も見てきました。


 ちなみに、シドニーではホームステイもしました。ニュージーランド、カナダに次いで3度目のホームステイなので、私もホームステイの感覚に大分慣れていました。ホームステイファミリーは2歳年上の男性と母親の二人暮らしで、よくこの男性と週末夜遅くまで飲みに出かけたものです。最初のバーでウィスキーのコーラ割りを10杯近く飲んだり、何時間もずっとビリーヤードをしたり、夜が明ける直前まで飲んでタクシーで家に帰ったりと、結構ルーズな生活をしていました。2歳年上の男性は夜飲んでいる間に(たいてい女性を見つけて一緒に)どこかに消えてしまうことが多く、帰りは私一人ということがほとんどでした。


 1カ月もいるとシドニー在住の他の日本人とも仲良くなったりもするのですが、私がこのワーキングホリデーで求めていたものは、「英語の上達」に加えて「オーストラリア全州を旅する」ということだったので、日本人に囲まれた気楽な環境にずっと居座るわけにはいきません。心を鬼にしてシドニーを出ることにしました。半年間有効の長距離バスのパスを購入して、オーストラリアの東半分をぐるっと一周回ることにしました。




 まずは北にゴールドコースト、バンダバーグと経由して、ケアンズにしばらく滞在です。ここで乗馬ガイドの仕事を見つけて、ケアンズ中心部から車で40分ほどのところにある牧場で働くことになりました。他に日本人が2人いましたが、牧場のオーナーや他のガイドなどはオーストラリア人で、英語を使える環境としては悪くはありません。ケアンズ中心部から離れているため、他に日本人はいませんでした。


 乗馬ガイドの仕事の基本は、馬に乗って熱帯雨林を1時間ほど歩く乗馬ツアーの同行です。一列にならんだツアー客の先頭と最後尾にそれぞれガイドがつきます。そこで、馬の正しい乗り方や世間話や「オーストラリア生活話」を面白そうにするのがガイドの役割です。


 私はそれまで乗馬の経験はありませんでしたが、何日か練習を重ねるごとにコツをつかんで、早歩き程度なら問題なく乗れるようになりました。ガイドとしてはこれだけできればとりあえず十分なレベルです。客は日本人や現地のオーストラリア人の他にも韓国人、香港人、カナダ人、アメリカ人、ドイツ人など、様々な国の人がいました。私は客に日本人がいる場合にガイドを任されるのが基本でしたが、何故か「アジア人繋がり」ということで韓国人や香港人の場合もガイドに任命されていました。その場合にはもちろん英語での乗馬の説明になるのですが、安全に関わることなのでこちらの意図が確実に伝わったかどうかの確認だけは注意深くやっていました。


 牧場の仕事は乗馬ガイドだけではなく、炎天下での牧場の電気フェンス周辺の雑草むしりや、馬を牧場から別の牧場へ移す作業など、かなりの重労働もありました。そんな重労働の後は、オーストラリア人ガイド達と一緒に、少し離れたバーでビールを飲みまくるのが楽しみでもありました。そこではカントリーミュージックの生演奏もあり、オーストラリアの田舎を思う存分満喫することもできました。ただ、そこでの英語はオーストラリア訛りがきつく、何を言っているのか全く分からないことも多くありました。


 牧場で2カ月ちょっと働いた後、またバスで旅をすることになりました。オーストラリアをワーキングホリデービザで来ている人は、バスパスを購入してオーストラリアを一周する人が多いのですが、その大半が1〜1.5カ月程度で一周する少々忙しい旅程です。主要な都市か観光ポイントで1泊か2泊だけして、すぐに次の場所に向かうやりかたですが、私にはペースが速すぎるように感じました。一カ所にそれ位の期間しかおらず、しかもそんな短期間で全てを見ようしてしまうと、それぞれの場所の印象が頭に残らないような気がしたからです。旅行の後で写真を見た時に「あれ、これどこだったっけ?」というのは、さすがに空しく感じます。あと、他の人と同じようなペースを取ることで、同じ旅をしている日本人と顔なじみになってしまい、各地で現地の人や他の国の旅行者との交流が取りづらくなることも、「英語の上達」を目指す上では避けたいと思っていました。


 ケアンズの後は、マウントアイザ、ダーウィン、アリススプリングス、エアーズロック、クーバーピディ、ポートオーガスタ、アデレード、メルボルンと約1カ月かけて観光しました。そしてメルボルンのバックパッカーズで掃除の仕事をしたりしながら2週間ほど過ごし、ここを拠点にして飛行機で西海岸のパースに行き、フェリーでタスマニアにも行きました。


 タスマニアには合計3週間過ごしました。ここではバスやレンタカーで各地を点々と移動しましたが、日本人が少なく、また現地の人も他の国の旅行者も人あたりが良くて、色々な人と英語で話をすることができました。


 タスマニア滞在の後半、スタンレーという田舎の町のバックパッカーズで、カナダ人女性と出会いました。そこに宿泊していたのは、その日は私と彼女の二人だけでした。彼女は部屋に瓶ビールを6本持ちこんで、「これ一緒に飲まない?」と誘ってきました。まず二人でそのうちの3本を開けて、そのまま一緒に近所のバーに出かけることになりました。ここは海外の旅行者があまり来るようなところではなく、バーにいた現地の人は、白人女性とアジアの男性が一緒に入ってきたことが珍しかったらしく、こちらをじろじろと見ていました。そのうちの男性の一人が声をかけてきて、「これからパーティがあるんだけど、一緒に来ないか?」と誘われました。「何でもオーケー」的な雰囲気のタスマニアでは、もちろんそのままパーティに出席することになり、朝までガンガンと飲みまくってしまいました。それから翌日以降、彼女と二人で数日間レンタカーでタスマニアの観光地を回りました。


 ただ、タスマニア滞在の最後の方に、何となく「やれることはもう十分やった。日本に帰ってちゃんと仕事をしよう」という気分にもなりました。タスマニア滞在が終了した後は飛行機でメルボルンに戻り、それからバスでキャンベラを経由してシドニーに戻ってきました。そして、3週間程シドニーのバックパッカーズに滞在した後、日本に帰国しました。オーストラリア滞在期間は合計7カ月でした。ビザの有効期限は1年間なので、よく他のワーキングホリデー滞在者に「勿体ない」という言われ方をしたりもしました。しかし、私の心は既に日本にあり、オーストラリアで何もせずにぶらぶらする位なら、早く日本に帰って仕事をしたいと思うようになっていました。