英語が本当に苦手な人の英語学習法

製作: 小川 邦久

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1.英語嫌いだった中学一年から高校二年まで


 人生最初の英語の勉強は、義務教育として英語の授業が始まる中学一年生の時でした。それまでは、英語とは全く無縁の生活でした。鉄道のない「東京の陸の孤島」武蔵村山市に生まれ、自宅の敷地内に牛が20頭ほどいる牛舎がある農家で、祖父母、父母、兄妹との7人家族。自転車で行ける距離に米軍横田基地がありますが、中の人とコミュニケーションを取ったことも、自分から取ろうと思ったこともありません。親が酪農家という仕事がら、家族で遠くに旅行したことはなく、せいぜい父か母のどちらかに連れられての一泊二日の国内旅行。高校までは学校の修学旅行以外で関東から出たこともありませんでした。ましてや、海外旅行なんて夢のような話です。


 中学時代の英語の成績は常に平均以下。一年生の一学期の中間テストこそ88点を取りましたが、内容はアルファベットの書きとりと極簡単な英文が出てくるだけで、いわゆる「できる人」は100点を取って当たり前のものです。その後は単語やら英文法が頭の中に浸透することはなく、中学卒業までテストの得点はいつも平均点以下でした。当時は英語の必要性が全く理解できず、「どうせテストのためだけの勉強で、大人になったらもう使わないんだから」ということで、自分自身も英語からできるだけ遠ざかりたいという思いがありました。



 ただ、英語以外の教科については、それほど悪い成績ではありませんでした。特に理科と数学については、学年でも上位にランクされるほどの得意科目でした。理科についてはかなり小さい頃から兄の学習用に本棚に置いてあった百科事典を読みあさったこと、数学については小学六年生のころから祖父に買ってもらったパソコンでプログラムを組めるようになったことも影響しているかもしれません。ただ、家で勉強をすることは全くといっていいほどありませんでした。塾や習い事にも通っておらず、学校を終えて家に帰るとすぐにファミコンやパソコンの毎日。学校で宿題が出ても、まず手を付けることはありませんでした。美術や技術・家庭科の提出物を出さずに、成績表の五段階評価で「1」をもらうことさえありました。


 中学卒業後は、自宅から自転車で5分の距離にある地元の都立高校に進学しました。偏差値では地域でも下位にランクされる「非進学校」。高校受験の倍率は第二次ベビーブーム世代なのに「0.49倍」という驚くべき低い数字で、基本的には「名前さえ書けば合格できる」というような学校でした。入学してすぐにタバコや殴り合いのケンカで停学が出たりするのは、当時のこの高校の特徴をよく表していたと言えます。


 一学年に約500人いましたが、その半数が上のレベルの高校を落ちて、「受け皿」制度で入学した人たちです。やはり上から落ちてきた人たちは比較的成績が良い人が多かったのですが、何しろレベルが下の下の高校でしたので、本当の意味で勉強に熱心な人はほとんどいない状態でした。学習塾に行くような人はクラスでも浮いてしまいます。勉強しない人が多いからか、視力の低い人もあまりいませんでした(おかげさまで、私は今でも両目とも視力2.0です)。現役での四年制大学への進学率は2%程度(推薦、一般合わせて毎年10人前後)で、残りは就職か専門学校か浪人か、一部の成績優秀な女子は短大に進学していました。


 そんなレベルの低い高校でしたが、私の英語力はその中でさえ「平均以下」の状況が続いていました。さらに定期テストで平均点の半分以下の得点だと「赤点」の称号をもらってしまいますが、英語に関して私は赤点の常習者でもありました。「完了形?」「関係代名詞?」「接続詞?」全く意味がわかりません。中学レベルの英語を理解していないのですから当たり前です。高校で習う新しい単語も、一つも頭に入らないままです。


 加えて私は前の晩の夜更かしの影響で朝眠かったり、「ちょっと疲れた」と感じただけでも学校を休んでしまう癖がありました。高校一年の時には学校を休みすぎて三学期になって出席日数が足りなくなり、体育の授業中に教師から「あと1日休むと留年だからな」と言われたこともありました。後日、風邪をひいて熱を出してしまったのですが、その時は何とか学校に行き、ボーっとしながらも体育の授業を受けて留年を避けることができた、というギリギリの経験もしました。相変わらず提出物に関しては無頓着でしたが、中学と違い高校では留年があるので、最低限の作業はするようにしていました。美術の授業で標語ポスターの提出が要求された際には、画用紙いっぱいの大きさに黄色い丸でパックマンを描き、「残さず食べよう」と標語を添えました。その時の成績は5段階の2でした。提出物を出さない場合が1になるので、事実上一番下のランクです。


 ところで、私の両親の学歴は中卒です。両親の教育方針はほぼ無いに等しく、「勉強しろ」と言われたことは一度もありません。ただ、よく母親から言われていたのが「大学には行った方がいい」ということでした。「大学に入ると何がいいのか?」「大学で何をするのか?」という疑問も無くはなかったのですが、漠然と「大学には行った方がよさそう」という気持ちは持ち続けていました。


 そんな中、高校二年の二学期になり、自分の進路を決定しなくてはいけない時期になりました。もちろん私は大学進学希望。しかし、学校の成績は上位からは程遠く、推薦入学の資格がないことはもちろんのこと、英語の試験が赤点ばかりでは、客観的に見て大学進学は現実的ではありません。高校に入ってからは数学の成績も落ちてしまい、唯一理科だけは得意でしたが、レベルの低い高校の中で「得意」とは言ってもたかが知れています。


 非進学校だけあって高校三年生のクラスは「文系」「理系」のような分割方式ではなく、午前中二時限分の授業が選択式で「進学」「専門学校」「就職」のような形に分かれていました。その「進学」系の選択授業の中で文系教科、理系教科が選べるようになっています。もちろん、大学受験の上で英語は必須でしたが、選択授業で「進学レベルの英語」の授業を受けることを希望していたにも関わらず、担任から「お前には無理だ」と言われてこの授業を受けることができませんでした。その一つ下の「専門学校レベルの英語」さえも、「お前にはこれも無理だろう」と受けることができませんでした。三年生でも必修科目としての英語の授業も無くはなかったのですが、事実上、「大学の進学はあきらめろ」という通告でもありました。